ハーバートの詩
「恵みによるのであれば、もはや行いにはよりません。そうでないと、恵みはもはや恵みでなくなります。」 (ローマの信徒への手紙11章6節)
「恵み(ギリシア語 カリス)」という言葉は、使徒パウロが福音を説く時に用いた言葉です。それは神の特別な好意として「救い」にあずかること、受けるに値しない罪人に注がれた神の一方的な愛を意味しています。ですから善い行いをしたとか、しなかったとかは関係ありません。「救い」の条件に善い行いが必要だと主張するならば、それはもはや神の恵みとは違うものです。私たちはその恵みを、ただ受けとることしかできません。 ジョージ・ハーバートという牧師の詩があります。ある人が神さま(愛)と交わした会話の詩です。 「私はここにふさわしい客でしょうか」というと 愛は「あなたがふさわしい客だ」と答えたのだ。 「このように不親切で、感謝の足りない私がですか。ああ、私はあなたに目を向けることもできません」 愛はそう語る私の手を取り、微笑みながらいった。 「誰が、あなたのその目をつくったのか、私ではないか」 「そのとおりです。 主よ。でも私はそれを損ねてしまったのです。私の恥にふさわしくお報いください」 「あなたはわかっていない」と愛は語った。 「誰がその責めを負ったのか」 「ああ、それでは私はあなたにお仕えします」 「いいえ、あなたはここにすわりなさい。そして、私の食事を味わいなさい」 と愛は語った。それで私はすわり、それを食した。 (「愛その3」『エクササイズⅠ』より一部抜粋)
《祈り》主は、私があなたに給仕する必要はないと言われます。私が「救い」のために何もする必要がないと。あなたは私を造られました。なぜなら、私を愛してくださっているからです。あなたは私が恵みを受けとり、その素晴らしさを喜ぶことをご覧になりたいと思っておられる。私は、あなたの愛に対して応答することしかできません。
牧師 和田一郎
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発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
「恵み(ギリシア語 カリス)」という言葉は、使徒パウロが福音を説く時に用いた言葉です。それは神の特別な好意として「救い」にあずかること、受けるに値しない罪人に注がれた神の一方的な愛を意味しています。ですから善い行いをしたとか、しなかったとかは関係ありません。「救い」の条件に善い行いが必要だと主張するならば、それはもはや神の恵みとは違うものです。私たちはその恵みを、ただ受けとることしかできません。 ジョージ・ハーバートという牧師の詩があります。ある人が神さま(愛)と交わした会話の詩です。 「私はここにふさわしい客でしょうか」というと 愛は「あなたがふさわしい客だ」と答えたのだ。 「このように不親切で、感謝の足りない私がですか。ああ、私はあなたに目を向けることもできません」 愛はそう語る私の手を取り、微笑みながらいった。 「誰が、あなたのその目をつくったのか、私ではないか」 「そのとおりです。 主よ。でも私はそれを損ねてしまったのです。私の恥にふさわしくお報いください」 「あなたはわかっていない」と愛は語った。 「誰がその責めを負ったのか」 「ああ、それでは私はあなたにお仕えします」 「いいえ、あなたはここにすわりなさい。そして、私の食事を味わいなさい」 と愛は語った。それで私はすわり、それを食した。 (「愛その3」『エクササイズⅠ』より一部抜粋)
《祈り》主は、私があなたに給仕する必要はないと言われます。私が「救い」のために何もする必要がないと。あなたは私を造られました。なぜなら、私を愛してくださっているからです。あなたは私が恵みを受けとり、その素晴らしさを喜ぶことをご覧になりたいと思っておられる。私は、あなたの愛に対して応答することしかできません。
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