主は心によって見る

「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」(新共同訳) (サムエル記上16章7節)
 私の息子は7歳になりました、つまり人生7年です。私の今の年齢から7年という年月はたったの11%だと知って驚きました。大切な忘れがたい出来事がぎっしりと詰まっていた幼年時代はもっと長い時間だったと感じていたからです。さまざまなものを初めて見て、喜んだり怖がったり。もっている知識はわずかでしたが、振り向くといつも自分を見つめる母親の微笑みがありました。もっとも愛情を必要とする年齢とも言われる幼年期を過ぎると、時間は駆け足をはじめ、年々速さを増していくことでしょう。 「真の人生にいちばん近いものは、たぶん幼年時代である。幼年時代をすぎてしまうと、人間は自分の通行証の他に、せいぜい幾枚かの優待券しか自由に使えなくなる。」(アンドレ・ブルトン フランスの詩人)  少年ダビデは、日頃から羊の番をしていました。立派な兄たちとは離れ、父親からは兄弟の数にもいれられない小さな存在でしたので、わずかな数の羊を任されていたのです。荒れ野という自然の中で喜んだり、襲ってくる熊を怖がったりしながら、人生に必要な多くのものを学んでいたのです。聖書に記されているダビデの少年時代は、家族の愛情を受けて育っていたようには見えません。もっとも愛情を必要としていた時期にダビデを見守っていたのは主なる神さまでした。「主が彼と共におられます。」(16:18)そのダビデをイスラエル史上もっとも名声を高めた王とされた主なる神さまは、立派な容姿の兄たちを退け、末っ子のダビデの心を、主の御心によって見ておられたのです。そこには、神さまの私たちへの限りない愛と恵みが示されています。とうてい選ばれる値打ちなどない人を神は選んで、ご自分のもとへと招き、救いにあずからせ用いて下さるのです。
《祈り》神さま、あなたの心は、私の何を見ておられるのでしょうか。私には子どもの頃のような、みずみずしい感性は薄れていますが、御心をまっすぐに受け止める謙遜を与えてください。
牧師 和田一郎
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