不適切にもほどがある
「四人の男が体の麻痺した人を担いで、イエスのところへ運んで来た。しかし、大勢の人がいて、御もとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根を剥がして穴を開け、病人が寝ている床をつり降ろした。」 (マルコによる福音書2章3-4節)
昨年、「不適切にもほどがある」というドラマがヒットして話題になりました。登場人物たちはタイムマシーンで昭和と令和を行き来するのですが、令和のコンプライアンス過剰社会から見ると昭和は不適切なことばかり。そんな昭和からやって来た主人公が、令和社会の人々に物申したり、昭和的力強さゆえに令和社会で認められたりしていく中で親子愛を見直していく家族のストーリーになっています。ある父は「ほんの一部分だけ見て切り取り、パワハラだなんて決めつけるな!」と叫ぶ。主人公の男は「認定して終わりじゃしょうがないと思うけどね。これはパワハラとか、パワハラじゃなくてモラハラとか、細かく分類して解決した気になってるだけなんじゃないの!」と令和の当たり前がそれでいいのだろうか?と考えさせられるシーンがありました。 イエスさまのところに、体の麻痺した人を癒やして欲しいと願った四人の男たちの行動は、二千年前の出来事とはいえ不適切な行動です。人の家の屋根を壊して病人を中へ吊り下げるなど許されることではありません。しかし、イエスさまは彼らの行動を認めました。そしてその病人に「子よ、あなたの罪は赦された」と言われて癒やされました。この様子を見ていた律法学者たちは、律法のコンプライアンスを問題にしたのです。「神を冒涜している。罪を赦すことができるのは、神おひとりだ」と。しかし、イエスさまは神の権威を示されたのです。律法学者たちには目の前にいる方の権威が見えていません。 「イエスはその人たちの信仰を見て」(5節)おられました。彼らの大胆で、非常識な行動の中で、彼らの信仰をご覧になったのです。その「信仰」とは友人の病気をイエスさまに癒やしていただきたいという切なる願いと、イエスさまならそれが出来るという確信です。家の屋根を壊してでもイエスさまのもとに連れて行こうとする熱意。そのためには、世間の常識やコンプライアンスなど構っておれないと思って行動したのです。イエスさまは「信仰」を見ておられました。私たちは日々さまざまな権威を恐れています。常識、コンプライアンス、世間の目、見えない噂や、見えない権威です。イエスさまの権威は人間の罪を赦す神の権威です。
《祈り》主よ、私たちは今、この時もあなたの権威の中で生きています。今日もあなたの赦しの中で生かされています。常識や世間の見えない権威ではなく、あなたへの信仰を第一とすることができますように。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
昨年、「不適切にもほどがある」というドラマがヒットして話題になりました。登場人物たちはタイムマシーンで昭和と令和を行き来するのですが、令和のコンプライアンス過剰社会から見ると昭和は不適切なことばかり。そんな昭和からやって来た主人公が、令和社会の人々に物申したり、昭和的力強さゆえに令和社会で認められたりしていく中で親子愛を見直していく家族のストーリーになっています。ある父は「ほんの一部分だけ見て切り取り、パワハラだなんて決めつけるな!」と叫ぶ。主人公の男は「認定して終わりじゃしょうがないと思うけどね。これはパワハラとか、パワハラじゃなくてモラハラとか、細かく分類して解決した気になってるだけなんじゃないの!」と令和の当たり前がそれでいいのだろうか?と考えさせられるシーンがありました。 イエスさまのところに、体の麻痺した人を癒やして欲しいと願った四人の男たちの行動は、二千年前の出来事とはいえ不適切な行動です。人の家の屋根を壊して病人を中へ吊り下げるなど許されることではありません。しかし、イエスさまは彼らの行動を認めました。そしてその病人に「子よ、あなたの罪は赦された」と言われて癒やされました。この様子を見ていた律法学者たちは、律法のコンプライアンスを問題にしたのです。「神を冒涜している。罪を赦すことができるのは、神おひとりだ」と。しかし、イエスさまは神の権威を示されたのです。律法学者たちには目の前にいる方の権威が見えていません。 「イエスはその人たちの信仰を見て」(5節)おられました。彼らの大胆で、非常識な行動の中で、彼らの信仰をご覧になったのです。その「信仰」とは友人の病気をイエスさまに癒やしていただきたいという切なる願いと、イエスさまならそれが出来るという確信です。家の屋根を壊してでもイエスさまのもとに連れて行こうとする熱意。そのためには、世間の常識やコンプライアンスなど構っておれないと思って行動したのです。イエスさまは「信仰」を見ておられました。私たちは日々さまざまな権威を恐れています。常識、コンプライアンス、世間の目、見えない噂や、見えない権威です。イエスさまの権威は人間の罪を赦す神の権威です。
《祈り》主よ、私たちは今、この時もあなたの権威の中で生きています。今日もあなたの赦しの中で生かされています。常識や世間の見えない権威ではなく、あなたへの信仰を第一とすることができますように。
牧師 和田一郎
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