【聖書について③】(信仰の基本シリーズ1)

(全7シリーズ  各3回 月曜-水曜)
「私(イエス)は あなた(御父)からいただいた言葉を彼らに与え、彼らはそれを受け入れて、私が御もとから出て来たことを本当に知り、あなたが私をお遣わしになったことを信じたからです。」 (ヨハネによる福音書17章8節)
 聖書には権威があります。宗教改革者のルターは、“キリスト教会"というもっともらしい名の下に、神の言葉を否定し、自分に従わせようとしてはならないと、厳しい言葉を残しました。つまり、教会の権威よりも上に、「聖書」の権威があると明言したのです。聖書に権威があるといっても、聖書だけあれば教会に行かなくても良いということではありません。なぜなら自分勝手に聖書を解釈してしまうからです。サタンも聖書を勝手に用いますから注意が必要です。聖書の権威と人間の権威が逆転しないように、教会を通して正しく解釈することによって信仰生活は成り立ちます。ですから教派には信仰告白書や信条書をおいて正しく「聖書」を解釈する基準を設けています。どの教派であっても、聖書に記された「神の言葉」に権威があるのは同じです。「聖書の権威は、聖書に内蔵されている真理と、聖書を通して語る神の声に基づいている。」(カンバーランド長老教会 信仰告白1.06) イエスさまは、父なる神からいただいた言葉を、私たちに与えてくださった、その「神の言葉」のゆえに権威があります。では、私たちの教会において「建て前」ではなくて「実際」に力があるものは何でしょうか。牧師が聖書以上に権威をもっていたり、会計担当者の言葉が判断基準になったり、人を集める影響力のある人の意見に従ってしまう。または、世の中の常識や市場原理が基準になっていて、いつの間にか「聖書」以上の権威になっていないでしょうか。まずは、聖書の権威を重んじて正しく理解することです。神の言葉を理解するためには、神の下に立つこと(under-standアンダー・スタンド)だと言われます。神の権威に従うことです、それを言い換えると「聖霊の働きによる」とも言えます。自分の力ではなく、聖霊の働きに委ねて、神の言葉の下に立ってこそ、神の言葉を神の言葉として、恵みを恵みとして受け取ることができるのです。毎日の生活の中で、どのように行動したらいいか、神様は聖書を通して私たちに教えてくださいますから、 毎日「聖書」の下に立つ者でありたいものです。
《祈り》主よ、聖書の言葉を正しく理解する力をお与えください。聖霊がこの身に満たされますように。
牧師 和田一郎
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