私のうちにおられるキリスト

「生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです。」 (ガラテヤの信徒への手紙2章20節)
 ボーイスカウトの創始者は、イギリス人ベーデン-パウエルという敬虔なクリスチャンです。当時、イギリスで無神論者が増えていたことを危惧して「次代の人々の幸福のために、キリスト教精神で平和と人類の幸福のために尽くしたい」と述べ、ボーイスカウト活動で信仰を持つことを奨励しました。しかし、ただキリスト教の拡大を目指したのではありません。宗教や国境の垣根を超えた、すべての人々の幸せを願ったので、他の宗教を認めて、その国や民族に合わせた信仰を奨励したことによって世界中に広がったのです。彼自身はキリスト教を基盤とした信仰から、さまざまな言葉を残していました。その中の一つに次の言葉がありました。 「君は神様から授かった知性と能力とをもって、どのような奉仕ができると思っているのだろうか?もしわからない点があるならば、君の心、すなわち君の体内における神様の声を聞きなさい。神様はすぐに、何を君に求めているかを告げるだろう。それは君の善意から与えるもの、しかも自由に与えるということである」 これは、身体の中に神さまがいて、その神さまに聞きなさいというのです。そしてそれは「善意」だと言っているのですね。身体の中の神さまの声を聞く者、それはまさに「行い」ではなくて「在り方」だと思いました。 使徒パウロは「生きているのは、もはや私ではありません」と、キリストと出会って信仰をもった時のことを思い起こしているのでしょう。信仰をもつとは、古い自分はキリストと共に死に、新しい自分がキリストと共によみがえることです。生きているのは、もはや私ではない、キリストが私の内に生きている。信仰とは主体の逆転です。「私」という自我が打ち砕かれ、キリストがこの身の主体となることです。それは、人知を超えた神の御業です。この身に内住される神の力によって新しい者へと変えられるのです。
《祈り》主よ、もはや生きているのは自分ではなく、内なるキリストです。人の考えでは、とうてい測り知れない神の恵みを有難うございます。
牧師 和田一郎
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