【献金について】(信仰の基本シリーズ7信仰生活①)
全7シリーズ 各3回 月曜-水曜
「惜しんで僅かに蒔く者は、僅かに刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取るのです。各自、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。」 (コリントの信徒への手紙二9章6-7節)
初めてキリスト教会の礼拝に来た人が、献金袋がまわってきた時に「教会でもおさい銭をするのですね」と言ったそうです。「信仰は心の問題なのに、お金を集めるなんておかしい」という人もいますし、「高額な献金がご利益になるという教団が社会問題になっているから、教会でお金の話はしないで欲しい」という声も聞かれます。 しかし献金とは、イエス・キリストの十字架による愛と恵みに感謝をあらわすための大切な礼拝儀礼です。会費やお賽銭とは異なります。会費は、組織を運営するための費用ですが、献金は組織ではなく神さまへの愛の応答として捧げるものです。また神社などにあるお賽銭と似ているようにも見えますが、自分の願いごとを叶えてもらおうとする御利益のためではありません。すでに頂いた神の恵みに対する感謝と、献身の告白として自由に捧げるものです。 私たちは、資本主義体制の中で生活していますから、自分で得たお金や物に対して「自分のもの」という私有財産の考えが徹底した社会で生きています。努力して働いた労働の報酬として得たお金を「自分の才覚で得たもの、家族の努力の賜物」だと考えがちです。けれども聖書は、根源的な所有はすべて神にあると教えます。 「あなたは自分の強さと手の力で、この富を生み出したと考えてはならない。むしろ、あなたの神、主を思い起こしなさい」(申命記8:17-18)。あらゆる被造物の所有権は神にあり、私たちはそれを預かり管理をまかされています。そこで旧約聖書で定められている十分の一を目安として、神さまに対して「ささげる信仰生活」を身に着けていく必要があります。 「人は、神のものを盗むことができるだろうか。だが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか』と。十分の一と奉納物においてだ。」(マラキ書3:8節 新改訳2017) 神に対するささげ物は、神の民の義務ですから、それを守らないことは「盗む」ことだとみなされました。
《祈り》主よ、あなたは喜んで捧げる人を愛してくださいます。強いられてではなく、律法的にではなく、自由な意志で感謝を表します。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
「惜しんで僅かに蒔く者は、僅かに刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取るのです。各自、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。」 (コリントの信徒への手紙二9章6-7節)
初めてキリスト教会の礼拝に来た人が、献金袋がまわってきた時に「教会でもおさい銭をするのですね」と言ったそうです。「信仰は心の問題なのに、お金を集めるなんておかしい」という人もいますし、「高額な献金がご利益になるという教団が社会問題になっているから、教会でお金の話はしないで欲しい」という声も聞かれます。 しかし献金とは、イエス・キリストの十字架による愛と恵みに感謝をあらわすための大切な礼拝儀礼です。会費やお賽銭とは異なります。会費は、組織を運営するための費用ですが、献金は組織ではなく神さまへの愛の応答として捧げるものです。また神社などにあるお賽銭と似ているようにも見えますが、自分の願いごとを叶えてもらおうとする御利益のためではありません。すでに頂いた神の恵みに対する感謝と、献身の告白として自由に捧げるものです。 私たちは、資本主義体制の中で生活していますから、自分で得たお金や物に対して「自分のもの」という私有財産の考えが徹底した社会で生きています。努力して働いた労働の報酬として得たお金を「自分の才覚で得たもの、家族の努力の賜物」だと考えがちです。けれども聖書は、根源的な所有はすべて神にあると教えます。 「あなたは自分の強さと手の力で、この富を生み出したと考えてはならない。むしろ、あなたの神、主を思い起こしなさい」(申命記8:17-18)。あらゆる被造物の所有権は神にあり、私たちはそれを預かり管理をまかされています。そこで旧約聖書で定められている十分の一を目安として、神さまに対して「ささげる信仰生活」を身に着けていく必要があります。 「人は、神のものを盗むことができるだろうか。だが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか』と。十分の一と奉納物においてだ。」(マラキ書3:8節 新改訳2017) 神に対するささげ物は、神の民の義務ですから、それを守らないことは「盗む」ことだとみなされました。
《祈り》主よ、あなたは喜んで捧げる人を愛してくださいます。強いられてではなく、律法的にではなく、自由な意志で感謝を表します。
牧師 和田一郎
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