神さまは素晴らしい!
「さて、その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が現れ、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。」 (ルカによる福音書2章8-9節)
「あの光はなんだ?」羊飼いたちが夜空に見た光、それは「主の栄光」と書かれています。そして最初の羊飼いたちの反応は「恐れ」でした、つまり「恐ろしくなるほど驚いた」のです。ある牧師は神の栄光が現れることを「神さまは素晴らしい!と感動することだ」と説明していました。 それは単なる奇跡ではなくて「神の素晴らしさ」が現わされているものを「神の栄光」としているのです。まさしく羊飼いは光を見て「神さまは素晴らしい!」と感動して、家畜小屋のイエスさまを見に行って「神の素晴らしさ」を実感したのです。この神の栄光は、人にも現わされますし、自然の中にも神の栄光が現わされます。 人が現わす愛や、芸術、勇気ある行動などの中に神の栄光を見ることができます。 「神は、私たちの心の中を照らし、イエス・キリストの御顔にある神の栄光を悟る光を与えてくださったからです。」(2コリント4:6)。 自然の美しさの中に神の栄光を見ることができます。「天は神の栄光を語り 大空は御手の業を告げる。」(詩編19:2)。 それらはたとえるなら、神の栄光を映し出す惑星のような輝きです。自分自身で輝く太陽のような輝きではなく、月のように太陽の光を反射させて輝く、惑星のような輝きが、人間や自然に現わされているのです。 人間の素晴らしさ、自然の美しさ、それに驚き感動することは、言うなれば「神さまは素晴らしい」と感動すること。それが神の栄光なのです。イエスさまは「私は、人からの栄光は受けない」(ヨハネ福音書5:41)と言われました。人からではない、父なる神の栄光を「子に栄光を与えてください」とイエスさまは祈りました。父から受けたイエス・キリストの栄光を、わたしたちは反射し続ける者でありたいのです。
《祈り》神さま、私は光をもっていませんが、あなたの光で私を輝かせてください。あなたを見上げて、あなたの光でこの世を照らすことができましたら、何と幸いなことでしょう。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
「あの光はなんだ?」羊飼いたちが夜空に見た光、それは「主の栄光」と書かれています。そして最初の羊飼いたちの反応は「恐れ」でした、つまり「恐ろしくなるほど驚いた」のです。ある牧師は神の栄光が現れることを「神さまは素晴らしい!と感動することだ」と説明していました。 それは単なる奇跡ではなくて「神の素晴らしさ」が現わされているものを「神の栄光」としているのです。まさしく羊飼いは光を見て「神さまは素晴らしい!」と感動して、家畜小屋のイエスさまを見に行って「神の素晴らしさ」を実感したのです。この神の栄光は、人にも現わされますし、自然の中にも神の栄光が現わされます。 人が現わす愛や、芸術、勇気ある行動などの中に神の栄光を見ることができます。 「神は、私たちの心の中を照らし、イエス・キリストの御顔にある神の栄光を悟る光を与えてくださったからです。」(2コリント4:6)。 自然の美しさの中に神の栄光を見ることができます。「天は神の栄光を語り 大空は御手の業を告げる。」(詩編19:2)。 それらはたとえるなら、神の栄光を映し出す惑星のような輝きです。自分自身で輝く太陽のような輝きではなく、月のように太陽の光を反射させて輝く、惑星のような輝きが、人間や自然に現わされているのです。 人間の素晴らしさ、自然の美しさ、それに驚き感動することは、言うなれば「神さまは素晴らしい」と感動すること。それが神の栄光なのです。イエスさまは「私は、人からの栄光は受けない」(ヨハネ福音書5:41)と言われました。人からではない、父なる神の栄光を「子に栄光を与えてください」とイエスさまは祈りました。父から受けたイエス・キリストの栄光を、わたしたちは反射し続ける者でありたいのです。
《祈り》神さま、私は光をもっていませんが、あなたの光で私を輝かせてください。あなたを見上げて、あなたの光でこの世を照らすことができましたら、何と幸いなことでしょう。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/