嫉妬しない人は伸びる

「病人は答えた。『主よ、水が動くとき、私を池の中に入れてくれる人がいません。私が行く間に、ほかの人が先に降りてしまうのです。』イエスは言われた。『起きて、床を担いで歩きなさい。』」 (ヨハネによる福音書5章7-8節)
 『赤毛のアン』のアン・シャーリーにはコンプレックスがありました。特に真っ赤なニンジンのような髪の毛とそばかすには激しいコンプレックスをもっていたのです。町にいる何でもずけずけ言うリンド婦人から「こんなそばかすって、あるだろうか。おまけに髪の赤いこと、まるでにんじんだ」と初対面で言われると一気に爆発。「あんたなんか大きらいだわ!」と言い返すほどだ。 ところがアンが偉いところは、他人への嫉妬がないことだ。一番の友だちになったダイアナは、白い肌に髪が黒くかわいらしい顔をして、女の子が欲しがるすべてをもっていた。だけどアンはダイアナに対して嫉妬という感情を一切もっていなかった。「まあきれいな子でよかったわ。自分が美人なのがいちばんすてきだけど、それはあたしにはだめだから」といって、ダイアナの自分を比べて卑屈になったりしないのだ。他人の長所や成功を妬むことはプラスにならない感情だ。自分の問題を他人のせいにしているのだから・・・。 エルサレムの近くにベトザタという名の池がありました。その池には「水が動いたとき一番に入った者は病気が癒やされる」という言い伝えがあったのです。そこにいた38年間病気だった男に、イエスさまは「良くなりたいか?」と問いかけます。彼は素直に良くなりたいと言うことができず「主よ、水が動くとき、私を池の中に入れてくれる人がいません。私が行く間に、ほかの人が先に降りてしまうのです。」と答えました。彼は一番に池に入れない現実を、人と比較して妬んでいました。 手伝ってくれる人がいないから。自分は病気だから。そういって自分の足で歩もうとしなかったのです。あの人は持っているけど、自分は持っていないという妬みです。誰でも人生の中で「自分は劣っているなぁ」という現実に出会います。劣っていても、他人との比較から解放されている人には何の問題もなりません。残念に思うことはあっても、劣った自分のままで神さまがその人に与えている、自分本来の人生を歩んでいくことができます。
《祈り》神さま、あなたは人と比較することなく、私を見てくださいます。そして、妬みいう寝床を取り上げてくださいます。イエスさまの呼びかけに応えて、自分本来の道を歩ませてください。
牧師 和田一郎
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