吐く息は感謝でありたい

「真夜中頃、パウロとシラスが神への賛美の歌を歌って祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。」 (使徒言行録16章25節)
 パウロとシラスはフィリピの町で伝道していましたが、無実の罪で鞭打たれ、足枷をはめられて牢屋の一番奥の部屋に入れられました。鞭うちによって背中の傷が痛んでいたでしょう。ふつうの人は「どうして、こんな仕打ちを受けなければならないんだ」と憤慨したり、落胆したりするでしょう。ところが二人は神をほめたたえ真夜中に賛美を献げていました。神さまに対して感謝と賛美の祈りを献げていたのです。
天の父さま どんな不幸を吸っても 吐く息は感謝でありますように すべては恵みの呼吸ですから    (作詩:河野進) たとえ自分が不幸な空気を吸ったとしても、そのまま不幸を吐く人にはなりたくない、と思いました。
 ある人は闘病の末にこの世を去りましたが、彼が残した闘病生活の4カ条があります。 1,私は不平を言わない。 2,私は家庭の雰囲気を明るくする。 3,私が受けた祝福を数えて感謝する。 4,私は病気を有意義に変える。 病気という不幸を吸って、決してそのまま不幸を吐くことをしなかった人の信条です。 私たちの人生は平坦だけが用意されているのではありません。上り坂があれば下り坂もある。病を抱えて下り坂を下りている時でも感謝することができるなら、神さまはきっと、上り坂の恵みも味わわせてくれるでしょう。
《祈り》恵みの神さま、私は不幸を吸い込むと、さらに大きな不幸にして吐きかけてしまうのです。「何で私に不幸が来るのか?」という不満が不幸を大きくしてしまいます。 主よ、それを感謝に変えて吐き出す人にしてください。あなたの力に依り頼みます。
牧師 和田一郎
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