親の心が宿っている

「また、あなたが抱いている偽りのない信仰を思い起こしています。その信仰は、まずあなたの祖母ロイスと母エウニケに宿りましたが、それがあなたにも宿っていると、私は確信しています。」 (テモテへの手紙二1章5節)
 私はよく人に頼みごとをします。人に頼らないで生きるということを大切にしている人もいると思います。しかし、私はむしろ積極的に頼みごとをする方だと思います。どうしてそのようにするようになったのだろうかと、考えてみると母親の生き方に思い至りました。母は闘病中に、自分の葬儀で担当していただく方の役割を決めていました。親族への連絡はこの人、知人への連絡はあの人、食事の手配は近所の友人など、適材適所に頼む人を決めていました。そのリストを書きながら「人に頼みごとをするのも大切なコミュニケーションだからね」とつぶやいていました。母の名は頼子といい「神様に依り頼む子」になるようにとクリスチャンの両親が名付けたそうです。私の人生観への母親の影響は、その背後にあった聖書と神様の存在が「宿っていた」と思うのです。  『テモテへの手紙』で興味深いのが「宿る」という言葉です。この手紙にテモテの祖母ロイスと母エウニケが出てきます。そのエウニケの夫は異教徒でした。つまりテモテの父親はギリシャ人で、ユダヤ教徒でもクリスチャンでもなかったようです。しかし使徒パウロはテモテの純粋な信仰はあなたの祖母と母に宿り、それがテモテにも宿っていると確信いていると、はっきり言うのです。この「宿る」という言葉に、信仰とは表面的なことではないのだと思わされます。信仰というのは、財産や家訓を受け継いでいくようなものではなく、心の内に宿っているものです。母の内に宿っているものが生き物のように、子に生命となっていくものなのでしょう。 ロイスとエウニケは、どこでキリストの福音を受け入れたのかは分かりませんが、ローマ帝国支配下の異教社会の中で苦労しつつ、信仰の戦いをしながらテモテを育てたのです。パウロはそういう祖母と母の信仰の労苦を知っていて、それを「偽りのない信仰」と呼んで、二人の名前に言及しているのです。
《祈り》主よ、あなたが与えてくださった地上の親は、私にとって生きた証しです。そして、この私も証し人として生かされています。心の内に宿った聖霊に満たされて、御霊の実によって証しすることができますように。
牧師 和田一郎
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