ふるさとの山はありがたきかな

「イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが御もとに来た。そこで、イエスは口を開き、彼らに教えられた。『心の貧しい人々は、幸いである 天の国はその人たちのものである。』」 (マタイによる福音書5章1-3節)
 神奈川県の大和市周辺に住んでいて、ふるさとの山といえば丹沢の大山です。神奈川の中東部から眺めると富士山と並んだ均整のとれた、その美しい姿が目を引きます。 「ふるさとの山に向ひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」(石川啄木) そして、登ってもよい山です。山腹や山頂からは相模湾、東京湾、関東を一望できる眺めも素晴らしい神奈川の象徴の山ですね。私は小学2年の息子と大山に登ったあと、家の前から指差して「あの山に登ったんだぞ」と言うと、彼は少し誇らしい顔になりました。大人になって「ふるさとの山はありがたきかな」と思えたら幸いです。次に登りたい山はいくつもありますが、エルサレムもその一つです。エルサレムはパレスチナ地方の山岳地帯にある町です。標高は約700m ですから高尾山と同じくらいの高さです。イスラエルの民は都エルサレムに上るとき、山を仰いで神を思い浮かべました。 「私は山々に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るのか。私の助けは主のもとから 天と地を造られた方のもとから。」(詩編121:1-2)  イエスさまも、よく山に登られました。「山上の説教」も山に登ったその山腹で語られた話です。神殿ではなく山に登って説教されたのには意味がありました。旧約聖書に出てくるモーセはシナイ山の山頂で父なる神から「十戒」を授かりました。十戒は神様と人との間に交わされた定めです。唯一の神を信じること、隣人を愛するという生き方が定められていました。 イエスさまは、シナイ山で与えられた十戒を大切なものとして受け継ぎつつ、それを完成させるための、新しいご自身の教えとして「山上の説教」を語られたのです。単なる戒律や道徳の教えではなくて、この教えの背後には、イエスさまを通して神が私たちと結んで下さった約束と救いがあります。山上といえば、イエスさまが三人の弟子を連れて高い山に登った時、イエスさまの姿が光り輝く栄光のお姿に変わったことが語られています。つまり山の上は、イエスさまの神としての栄光が現わされる場なのです。
《祈り》主よ、予言者エリヤが疲れ果てて山に登った時に「ここで何をしているのか?」と優しく語り掛けられたように、私に語ってくださいますように。主なる神に向かいて言うことはなし、主の恵みはありがたきかな。
牧師 和田一郎
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