地図は間違っていないか?

「聖書はすべて神の霊感を受けて書かれたもので、人を教え、戒め、矯正し、義に基づいて訓練するために有益です。こうして、神に仕える人は、どのような善い行いをもできるように、十分に整えられるのです。」 (テモテへの手紙二3章17節)
 ある若い兵士がサバイバル訓練で地図を片手に森の中にいました。自分のいる場所を確認しようと目をこらしていたのです。そこに古参の上等兵がやってきました。「自分の位置は確認できていますか?」と彼は訊いた。「この地図によれば、このあたりに池があるはずなのですが、どうしても見つからないのです。私は自分がどこにいるのか分からなくなってしまいました。」と若い兵士は答えた。すると「もし地図と実際の地形が違っているのなら、地図が間違っているのではないですか?」そう言って古参兵が調べると「やはりこの地図は間違っていますね。地図と現場に違いがある時は、地図が間違っていることを疑う必要がありますよ。」その時若い兵士は人生にとって大切な格言を聞いたような気がした。  私たちはどの地図を頼りに人生を生きていくのか選ぶことができます。神さまは私たちに自由な意思を与えてくださいました。ある本を教訓とし、ある人物を模範としていくこともできます。しかし、それらは真理ではありません。時間や状況の変化によって変わるものです。不変であり普遍的なものが人生の指針として必要です。  使徒パウロは、整えられた者となるためには、聖書によって「教え」と「戒め」「矯正」「義」の訓練を受け続ける必要があると教えています。聖書を読むだけでは訓練とはなりません。日々聖書を読みその言葉を実践する。聖書が教える神の「教え」とは、ライフスタイルにまで及びます。そうして真理を生きる、整えられた者となるのです。 イエスさまは「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことができない。」(ヨハネ書14:6)とおっしゃいました。私たちは神の霊感を受けた真理を地図として生きることができるのです。
《祈り》私たちの道であり、真理であり、命である神さま。あなたの変わらない愛に感謝いたします。あなたの教えが私の人生の道しるべです。聖書の言葉が、日々の生活の中で生かされますように、
牧師 和田一郎
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