水をください
「『私は、キリストと呼ばれるメシアが来られることを知っています。その方が来られるとき、私たちに一切のことを知らせてくださいます。』イエスは言われた。『あなたと話をしているこの私が、それである。』・・・女は、水がめをそこに置いて町に行き、人々に言った。『さあ、見に来てください。私のしたことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシアかもしれません。』」 (ヨハネによる福音書4章26-29節)
ある人が高価なワインをもって出かけた。とっておきのワインを旅先で楽しもうとしたのだ。ところが旅の途中、炎天下の荒れ野で車が故障してしまった。次の町まで歩いていくことにしたが喉が渇いて倒れそうだ。だが井戸みつけてそこに原住民が水を汲んでいた。「水をください」と頼んだが水を入れてもらえる器はワインの瓶しかない。器を空にしないと水を注ぎ入れることはできないのだ。 サマリアの女は、暑い日中に井戸へ水を汲みにきました。彼女は5回結婚して今は正式の夫ではない男と暮らしていました。これは当時の社会では許されないことなので、彼女は人目を避けて暑さの厳しい時間にこっそりと水汲みにきていたのです。そこでイエスさまと出会いました。イエスさまの話を聞くうちに、閉ざされていた心が開かれていったのです。彼女がそこに来た目的は、ただ水を汲むことです。生活のための水が必要でした。 ところが「女は、水がめをそこに置いて町に行」ったのです。水を汲むことをやめて町に行きました。メシアの到来を告げることにしたのです。彼女にとって本当に必要だった水は井戸の水ではなかった。まことの礼拝において与えられる生きた水、渇くことのない水によって彼女は潤される必要があったのです。彼女は町に入って人々に積極的に語りかけ始め、人々をイエスさまのところに連れて来ました。彼女の生き方は変わりました。人目を避けて生きてきた彼女は、人と積極的にかかわりメシアの到来という「福音」を告げて、感謝する生き方に変わったのです。 コップの水を空けなければ、新しい水を入れることができない。抱えているものを捨てなければ、新しい生き方は始まらない。主に信頼し、抱えているものを明け渡して、空いた器に恵みを注いでいただきましょう。
《祈り》主よ、私を憐れんでください。私は自分が得するために生きてきました。「自我」という愚かなものが、あなたの前に立ちはだかって手放すことができません。主よ、憐れんでください。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
ある人が高価なワインをもって出かけた。とっておきのワインを旅先で楽しもうとしたのだ。ところが旅の途中、炎天下の荒れ野で車が故障してしまった。次の町まで歩いていくことにしたが喉が渇いて倒れそうだ。だが井戸みつけてそこに原住民が水を汲んでいた。「水をください」と頼んだが水を入れてもらえる器はワインの瓶しかない。器を空にしないと水を注ぎ入れることはできないのだ。 サマリアの女は、暑い日中に井戸へ水を汲みにきました。彼女は5回結婚して今は正式の夫ではない男と暮らしていました。これは当時の社会では許されないことなので、彼女は人目を避けて暑さの厳しい時間にこっそりと水汲みにきていたのです。そこでイエスさまと出会いました。イエスさまの話を聞くうちに、閉ざされていた心が開かれていったのです。彼女がそこに来た目的は、ただ水を汲むことです。生活のための水が必要でした。 ところが「女は、水がめをそこに置いて町に行」ったのです。水を汲むことをやめて町に行きました。メシアの到来を告げることにしたのです。彼女にとって本当に必要だった水は井戸の水ではなかった。まことの礼拝において与えられる生きた水、渇くことのない水によって彼女は潤される必要があったのです。彼女は町に入って人々に積極的に語りかけ始め、人々をイエスさまのところに連れて来ました。彼女の生き方は変わりました。人目を避けて生きてきた彼女は、人と積極的にかかわりメシアの到来という「福音」を告げて、感謝する生き方に変わったのです。 コップの水を空けなければ、新しい水を入れることができない。抱えているものを捨てなければ、新しい生き方は始まらない。主に信頼し、抱えているものを明け渡して、空いた器に恵みを注いでいただきましょう。
《祈り》主よ、私を憐れんでください。私は自分が得するために生きてきました。「自我」という愚かなものが、あなたの前に立ちはだかって手放すことができません。主よ、憐れんでください。
牧師 和田一郎
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