いつくしみ深い神

「イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、『女よ、見なさい。あなたの子です』と言われた。」 (ヨハネによる福音書19章25-26節)
 プロレタリア文学を代表する作家小林多喜二は、小説「蟹工船」など、虐げられていた労働者階級の人々を描いた作家で、当時の治安維持法によって警察から要注意人物として逮捕され、裁判も受けづに拷問によって殺されてしまいました。今ではありえない話しです。死んだ小林多喜二の遺体を、引き取りに行ったのは、母セキでした。布にくるまれた遺体を見て、あまりに悲惨な拷問の跡に絶句しました。母は声を掛けました「ほれ多喜二、もう一度立って見せぬか、みんなのために立って見せぬか」といって、多喜二のほっぺたに自分のほっぺたをくっつけて、本当に生き返って欲しいと泣いて願いました。母のセキは文字も読めないし、学識もありませんでした、人一倍明るくて優しい自分の息子が、なぜ国家権力によってこんな仕打ちを受けなければならないのか、多喜二が悪い事なぞするわけがないと信じ続けました。しばらくして、長女に教会へと誘われて行きますが、自分に向かないと思ったそうです。文字が読めないのに「聖書をお開きください」「讃美歌何番をお開きください」というからです。 しかし、牧師から「お母さん、人間には心の目とか、心の耳というものがあってね。聖書をすらすら読める人より、よく分かることがあるのです。あなたのように人の何倍も涙を流してきた人は、その心の目と心の耳があるんです」。と言われ、やがて洗礼に導かれました。そして、何も悪い事をしていないのに殺されたイエス様の話をきいて「自分だって多喜二だって「どうかこの人たちをお赦しください」なんて、とっても言えん。「神様、白黒はっきりつけてくれ」ってばっかり思ってきたと。その母に牧師は「神様は正しい方だから、この世の最期の裁判の時には、白黒つけて下さる。お母さん、安心していいんですよ」と語りました。 主イエスの母マリアは、どこにでもいる普通の一人の娘でした。「マリア様」などと呼ばれるような聖母ではなく、貧しい庶民の一人でした。何もなかったマリアを選び、救い主イエスさまの母とされたのです。「この卑しい仕え女に 目を留めてくださった」(ルカ 1:48)と感謝したのです。
《祈り》いつくしみ深い神さま、あなたは飢えたものを良い物で満たし、おごり高ぶるものを低くし、憐れみを忘れない方です。私の魂は救い主である神を喜びたたえます。
牧師 和田一郎
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