無秩序ではなく平和の神

「その下働きは、『今、よこしなさい。さもなければ、力ずくでも取る』と言った。この下働きの者たちの罪は主に対して非常に重かった。その者たちが主への供え物を軽んじていたからである。」 (サムエル記上2章16-17節)
 1984年、当時世界最高のサッカー選手だったマラドーナが南イタリアのチーム、ナポリに加入しました。北イタリアのインテル戦に出場した時、インテルのサポーターはマラドーナに敬意を表して横断幕で「Welcome to Italy」と掲げたのです。つまり、ナポリに加入したがナポリはイタリアではない、というイタリア南部を軽蔑したメッセージです。このエピソードはイタリア南北問題を象徴するものでした。ヨーロッパでも有数の工業地帯である北イタリアのミラノやトリノは経済的に豊かです。一方ナポリなどの南イタリアは農林水産業と観光業が中心で貧しく、失業率は高く、働いていても正式な契約ではなく、税金を払わない日雇い労働が多かったのです。北部の人が払っている高額な税金の、ほとんどが南部まわされる構造がイタリア経済の足を引っ張っていると指摘されました。 南部で産業が発展しない原因を調査すると、勤勉で秩序ある働き方が浸透しない風土にありました。特にマフィアの影響があり、コネで就職が決まり、陳情や個人的な関係で意思決定がひっくり返る文化。住民は勤勉に働くよりも有力者に依存し、みずから信頼関係を構築することをせずに、信頼を欠いた文化が根づいていたのです。一方で北部では、共和制を推し進めた公共心が豊かで信頼と協調に重んじる社会を築いた。この社会資本が大きな経済格差の要因にあったのです。  サムエル記に出てくる祭司エリの二人の息子たちは、祭司という権力を利用して私腹を肥やし、自分の欲望を満たすために、祭司の下働きも神殿での供え物を横領していました。祭司は信仰の指導をすべき立場です。その祭司が罪に陥ってしまっていることによって国は乱れました。それは神さまの御心ではありませんでした。 「神は無秩序の神ではなく、平和の神だからです」(1コリント14:32-33)
《祈り》平和の神よ、わたしたちが秩序ある生活を通して、神の正義をこの世で現すことができますように。怠惰な生活はあなたから与えられた賜物を無駄にしてしまいます。 秩序ある生活は、あなたに正しく向き合うところから始まります。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/