壁打ちのすすめ

「鉄は鉄で研がれ 人はその友人の人格で研がれる。」 (箴言27章17節)
 私が小学生の頃に過ごした団地の中央にグランドがあり、コンクリートの壁がありました。壁にボールを投げたり、蹴ったり「壁打ち」をして遊ぶのです。今では駄目でしょうが当時の子どもたちは団地にあった壁という壁に、黙々とボールを投げて野球をしていました。当てる高さや角度を工夫すれば、ピッチャーにも、野手にもなって遊ぶことができた。友だちとも、一人でもできる「壁打ち」。 思えばずっと壁打ちをしていることに気づきました。それは会話の壁打ちで、話す相手に壁役になってもらい、考えを投げて、ぶつけてみることを無意識にしてきました。考えていることを言葉にして投げかけることで考えがまとまり、さらに発想が生まれる。相手の反応を見ながら課題に気づく。考えや思いに行き詰った時は、相手を見つけて壁打ちすることをお勧めします。(できれば相づちの名人がいるといいのですが・・・)。 聖書はこう語ります。「鉄は鉄で研がれ 人はその友人の人格で研がれる。」 壁に向かってボールを投げたとき、跳ね返ってくるボールの角度や速さが新しい発見をくれたように、私たちの心も、だれかとの会話を通して研がれていきます。自分では気づけない視点や、抱えている課題を見つけるのは、一人では難しいことです。だからこそ神様は、私たちを人と人とのつながりの中に置かれたのでしょう。 これは人との会話だけでなく、神さまとの対話においても同じです。聖書を開いて祈る時間、それが「ディボーション」です。ディボーションは、ただ聖書を読むことでも、ただ祈ることでもありません。神さまとの「壁打ち」です。私たちは、心の中にある思いや悩み、感謝や願いを、祈りという形で神さまに投げかけます。そして、聖書の言葉を通して、神さまからの応答を受けとることができるのです。
《祈り》神さま、今日も私の思いをあなたに投げかけます。人との会話では得られない答えを、聖書の御言葉と聖霊の導きによって私に返してください。あなたとの対話の中で、私の心を整えてください。
牧師 和田一郎
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