心を開く人

「見よ、私は戸口に立って扉を叩いている。もし誰かが、私の声を聞いて扉を開くならば、私は中に入って、その人と共に食事をし、彼もまた私と共に食事をするであろう。」 (ヨハネの黙示録3章20節)
 2011年、東日本大震災のあった年の夏。気仙沼にボランティアのため数日滞在しました。そこには国内、海外からさまざまな背景をもった宣教師や牧師、信仰者たちが復興の手伝いに来ていました。泥かきや支援物資の配給などに汗を流しました。 そこに関西から車でやって来たボーマン先生というアメリカ人の牧師が来ていて、一緒に軽トラックにのって支援物資を運んでいました。私はその頃40代になっていて、自分の人生の後半の生き方を考えていた時期でしたが、一緒に奉仕をする牧師や宣教師の方々とお互いの働きのことを聞くことができました。一信徒であった私には知らなかった、牧師たちの苦労や喜び。ボーマン先生は父親も祖父も、そして親族のほとんどが牧師か宣教師だと話してくれました。ご自分の家族のことや、日本での宣教の証しを聞いて話が弾みました。 そこで私は質問をしたのです。「良い牧師の条件は何ですか?」と。するとボーマン先生は考えこみました。あまりに長く沈黙していたので、質問が聞こえてなかったのかと心配になったほどです。すると沈黙を破って「神さまに心を開く人、相手に心を開く人」と言って、また黙りました。決して斬新で心に突き刺さるような言葉ではありません。ありきたりにも聞こえる言葉でしたが、じっくりと丁寧に考えて答えてくださった、その言葉は私の心に残りました。軽トラックの窓から潮風が吹いていた、気仙沼の夏が私の献身の最初の一歩だったように思います。 黙示録の御言葉は、ラオデキア教会への手紙の中でキリストご自身が、信徒一人ひとりの心の戸口に立って「叩いている」と教えています。心を開くとは、まず神に対して開かれることから始まります。自分の弱さや失敗やプライドを隠さずに差し出し、イエスさまを受け入れるとき、神の臨在が私たちの内に住み、共に歩んでくださいます。「神さまに心を開く人」とは、ただポジティブな気持ちでいることではなく、神との親しい関係を受け入れる姿勢です。祈れないとき、神を感じられないときでも、閉ざした戸をもう一度開く勇気を持つことが求められます。さらに「相手に心を開く人」というのも、この聖句の延長にあります。イエスさまが私たちに心を開いてくださったように、私たちも互いに心を開く者へと変えられていくからです。
《祈り》主よ、あなたが私の心の戸口を叩いておられることに気づかせてください。恐れや高ぶりを手放し、あなたに心を開きます。あなたの愛で満たされ、隣人にも心を開く者としてください。
牧師 和田一郎
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