「名前をつける」 アブラハムの生涯⑦

「あなたの名はもはやアブラムとは呼ばれず、アブラハムがあなたの名となる。あなたを多くの国民の父とするからである。」 (創世記17章5節)
 私は子どもの頃、母から「私の名前は神さまに“依り頼む子"という意味でつけられたのよ」と聞かされました。母の両親はクリスチャンでしたので神さまに信頼して歩むようにという思いで「頼子(よりこ)」という名前をつけたようです。私は息子の名前をつける時、いくつかの名前をリストアップしました。実は今の名前とは違う名を私はつけようとしたのですが、妻から反対されて「お母さんの名前がいいわよ」と言われ「頼人(よりと)」となりました。今では私が決めなくて良かったとホッとしています。今、息子が食前の祈りをしているのを見ながら「ああ、神さまに依り頼む子だな」思えるのは親バカとはいえ幸いを感じます。このまま成長してくれるといいのですが・・・。  創世記では「名づける」という行為が、神と人間の間で重要な役割を果たしています。神が創造された光を「昼」、闇を「夜」と名づけました(創1:5)。これは、ただ名称を与えたということではなく、神がその被造物に目的と意味を与えるという、支配と愛の表現なのです。アダムが、神によって造られた動物たちに名前をつける場面があります(創2:19–20)。これはアダムが動物に名をつけるという行為を通して、動物と関係を結び、また責任を担う存在として置かれたのです。神が名づけるとき、それは創造主としての権威と愛の表現であり、人が名づけるとき、それは与えられた世界との関係性と責任を担うことの表れです。名を与えることは、支配だけではなく、「関わる」「向き合う」「共に生きる」ということの宣言でもあるのです。 アブラムが99歳になったとき、神さまは彼の名前を「アブラム(高められた父)」から「アブラハム(多くの国民の父)」へと変えられました。神は「あなたを非常に多くの国民の父とする」と約束されました。名前の変更は、神さまとの新しい関係の始まりです。それは新しい存在とされ、過去を超えて新しい歩みを始めることを意味します。クリスチャンの信仰生活は、日々、私たちの名を呼んでくださる神に、新しくされる旅なのです。
《祈り》「あなたを多くの国民の父とする」と言われたように、あなたは名をつけ、名を呼ぶことによって、私たちに新しい道を開かれるお方です。今日も私の名を口にしてくださる、あなたの愛に感謝します。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/