「他者のために必死に祈る」 アブラハムの生涯⑧

「彼は言った。『わが主よ、もう一度だけ申し上げても、どうかお怒りになりませんように。もしかすると、そこには十人しかいないかもしれません。』」 (創世記18章32節)
 創世記18章には、アブラハムと神さまの会話が出てきます。神さまはソドムとゴモラという町が悪に満ちていることをアブラハムに知らせ、その町を滅ぼそうとされました。しかし、そこにはアブラハムの甥のロトが住んでいたのです。アブラハムは心配になり、神さまに願い出ました。「もしその町に正しい人が50人いたら、どうされますか?」。神さまは「正しい人が50人いたら、その町を滅ぼさない」と答えられます。そこでアブラハムはさらにお願いを重ね、「40人だったら」「30人だったら」「いや、たったの10人だったら」と数を減らしていきました。そのたびに神さまは「それだけの正しい人がいれば滅ぼさない」と応えてくださったのです。 このやりとりからアブラハムが「神さま」と「人」との間にたつ者としての役割を果たしていたことが分かるのです。彼は自分のためではなく、他者の命を守るために必死に祈りました。神さまはご自分のご計画をお持ちですが、人の祈りを聞いてくださり、その祈りを通してあわれみを表してくださいます。祈りは神さまの心を変えるためではなく、祈る私たちが神さまの思いに近づいていくための大切な道なのです。 この物語は、私たちにも与えられた「祈りの務め」を思い出させてくれます。家族のために、友人のために、地域や世界のために祈ること。それは単なるお願い事ではなく、神さまとの語り合いであり、神さまの御心を求める歩みです。小さな祈りでも、神さまの前では無駄になることはありません。アブラハムが十人の正しい人を求めて願ったように、私たちの祈りもまた、知人や社会を支える力になるのです。
《祈り》神さま、アブラハムがロトとその町の人々のために、必死に祈り続けた姿を思うとき、私は気が引けてしまうのです。私は自分の願いばかりを祈っていることを告白します。自分の都合や心配事ばかりが心にあります。主よ、憐れんでください。私の狭い心を砕いて、他者の痛みを思い起こさせてください。
牧師 和田一郎
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