「愛がなければ」 ーその時パウロは考えた①ー
全12回 月曜-火曜
「山を移すほどの信仰を持っていても、愛がなければ、無に等しい。」 (コリントの信徒への手紙一13章2節)
若き日のサウロ(後にパウロと呼ばれる)は、燃えるような信仰を持った青年でした。彼はエルサレムで律法を学び、神に従うことを何よりも誇りとしていました。夜通し聖書を研究し、律法の一字一句を守ることこそ神への忠実だと信じていたのです。 しかし、その熱心さはいつしか、人を傷つける刃となっていました。イエスを信じる者たちを「神を冒涜する者」と決めつけ、捕らえ、牢に送ることを正義と考えていたのです。彼の胸には確信がありました・・・自分は神のために戦っていると。 正義そのものは悪ではありませんが、愛を欠いた正義は人を裁き、分断します。彼はまだ知らなかったのです。真の信仰とは、人を倒すことではなく、人を立たせる力だということを。パウロはその痛みを通して、後にこう語るようになります。 「信仰を持っていても、愛がなければ、無に等しい」と。ですからパウロの人生は「正義から愛へ」という信仰の転換の物語でもあります。彼は正義を捨てたのではなく、愛によって正義を包み直したのです。「正しいこと」を行おうとするとき、人は「愛すること」を忘れてしまうことがあります。正義は尊いものですが、愛を失えば、人を救うどころか、切り捨ててしまうのです。 その時パウロは考えた:「神に熱心であっても、愛がなければ、真の信仰ではない。」
《祈り》自分の正しさに酔い、他者を裁いてしまう弱さをもっています。愛のない正義を、愛によって包み直す勇気をお与えください。人を倒す力ではなく、人を立たせる力としての信仰を、私たちのうちに育ててください。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
「山を移すほどの信仰を持っていても、愛がなければ、無に等しい。」 (コリントの信徒への手紙一13章2節)
若き日のサウロ(後にパウロと呼ばれる)は、燃えるような信仰を持った青年でした。彼はエルサレムで律法を学び、神に従うことを何よりも誇りとしていました。夜通し聖書を研究し、律法の一字一句を守ることこそ神への忠実だと信じていたのです。 しかし、その熱心さはいつしか、人を傷つける刃となっていました。イエスを信じる者たちを「神を冒涜する者」と決めつけ、捕らえ、牢に送ることを正義と考えていたのです。彼の胸には確信がありました・・・自分は神のために戦っていると。 正義そのものは悪ではありませんが、愛を欠いた正義は人を裁き、分断します。彼はまだ知らなかったのです。真の信仰とは、人を倒すことではなく、人を立たせる力だということを。パウロはその痛みを通して、後にこう語るようになります。 「信仰を持っていても、愛がなければ、無に等しい」と。ですからパウロの人生は「正義から愛へ」という信仰の転換の物語でもあります。彼は正義を捨てたのではなく、愛によって正義を包み直したのです。「正しいこと」を行おうとするとき、人は「愛すること」を忘れてしまうことがあります。正義は尊いものですが、愛を失えば、人を救うどころか、切り捨ててしまうのです。 その時パウロは考えた:「神に熱心であっても、愛がなければ、真の信仰ではない。」
《祈り》自分の正しさに酔い、他者を裁いてしまう弱さをもっています。愛のない正義を、愛によって包み直す勇気をお与えください。人を倒す力ではなく、人を立たせる力としての信仰を、私たちのうちに育ててください。
牧師 和田一郎
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