体は使わなくっちゃ!

「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたは もはや自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」 (コリントの信徒への手紙一 6章19–20節)
 かつて、私の父は七十を過ぎてからも、近くの引地台公園にある温水プールへ毎日のように通っていました。約1時間、水中ウォーキングをしながら、顔見知りの人とおしゃべりをして帰ってくる。それが父の日課でした。 ところがある日、肩の痛みで整形外科を受診すると「運動をやめて安静に」と言われました。それ以来、プールへ行くのをやめてしまい、外出も減って、見る見るうちに体力も気力も落ちていきました。「水中ウォーキングを短くして、少しずつでもいいから、またプールに行こうよ」と勧めましたが、一度止めてしまった習慣を取り戻すことは難しかったようです。人と話さなくなったので、私と話していても言葉が出て来ない。しゃべること自体がおっくうになってしまってしまいました。人の体も心も、使わなければ、あっという間に錆びつくのだと痛感しました。 神さまは私たち一人ひとりに、体と命を与えてくださいました。それは、ただ長く保管しておくためではなく、「用いる」ための賜物です。体を動かし、人と関わり、働き、笑い、祈ること・・・そのすべての中に、神の愛を表す機会があります。 イエスさまは「タラントンのたとえ」(マタイ25章)で、主人から預かったものを使って増やした僕(しもべ)をほめ、何もしなかった僕を叱りました。神さまから与えられた時間、能力、個性、そして、からだ全身を活かすことこそ、神への感謝の表れです。 たとえ年を重ねても、歩ける足があるなら歩きましょう。話せる口があるなら語りましょう。神さまからもらった体なんだから、使いましょう!それは、自分のためだけでなく、神の栄光をこの地に映すことになるのです。
《祈り》神さま。あなたが私たちに、命と体を与えてくださったことを感謝します。歩けるうちは歩き、語れるうちは人と語り、笑えるうちは共に喜び合う力をお与えください。体の不自由を抱えても、あなたの愛の中で生きる喜びを見失うことがありませんように。弱さの中にも、あなたの力が働きます。どうか病や痛みを抱える方には癒しと慰めを与え、あなたからの贈り物である、この体を祝福してください。
牧師 和田一郎
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