ネロとパトラッシュが見た絵
「彼は私たちの背きのために刺し貫かれ 私たちの過ちのために打ち砕かれた。彼が受けた懲らしめによって 私たちに平安が与えられ 彼が受けた打ち傷によって私たちは癒やされた。」 (イザヤ書53章5節)
ベルギーのアントワープ、少年ネロは両親を亡くし、貧しい祖父に育てられました、大好きな絵を描く紙を手に入れることすら困難な生活でした。しかし、そんな彼がある日目にしたのは、聖母大聖堂にあるルーベンスの壮大な聖母マリアの姿です。亡くした母の面影を重ねつつ、その絵が与える圧倒的な力に魅了され、「自分もこんな絵を描きたい」という、芸術への夢と希望が芽生えたのです。 しかし、祖父を亡くしたことで生きていく支えを失ったネロと、老犬パトラッシュは、飢えと寒さの中で大聖堂の絵画の下で倒れます。しかし、起き上がると、いつか見たいと思っていた念願の「キリスト昇架」と「キリスト降架」の二つのルーベンスの絵を見ることができたのです。そこには自分と同じ「苦しむ者の顔」が描かれていました。鞭打たれ、釘打たれ、血に染まったイエスの姿。しかし、その躍動感と見事な色彩は素晴らしいものでした。もう、それで十分でした。冷たい世間から与えられなかった慰めと平安を、彼は十字架のキリストの中に見たのです。 夜が明け、ネロとパトラッシュは静かに寄り添い、冷たい大聖堂の中で天の父のもとへ帰っていきました。それは救いの完成でした。この世の冷たさを知る者ほど、神の温かさを深く知ることができます。傷ついた者のそばにおられる神は、痛みをもって愛を語られる方だからです。ネロが見上げた十字架のキリストは、今も私たちの中にいます。その打たれた御手が、私たちの涙をぬぐい、癒しと平安を与えてくださいます。
《祈り》主よ、あなたは、私たちの痛みをその身に背負ってくださいました。あなたの打たれた御手の中に、あなたの愛があります。どうか、私たちの痛みをあなたの癒しに変えてください。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
ベルギーのアントワープ、少年ネロは両親を亡くし、貧しい祖父に育てられました、大好きな絵を描く紙を手に入れることすら困難な生活でした。しかし、そんな彼がある日目にしたのは、聖母大聖堂にあるルーベンスの壮大な聖母マリアの姿です。亡くした母の面影を重ねつつ、その絵が与える圧倒的な力に魅了され、「自分もこんな絵を描きたい」という、芸術への夢と希望が芽生えたのです。 しかし、祖父を亡くしたことで生きていく支えを失ったネロと、老犬パトラッシュは、飢えと寒さの中で大聖堂の絵画の下で倒れます。しかし、起き上がると、いつか見たいと思っていた念願の「キリスト昇架」と「キリスト降架」の二つのルーベンスの絵を見ることができたのです。そこには自分と同じ「苦しむ者の顔」が描かれていました。鞭打たれ、釘打たれ、血に染まったイエスの姿。しかし、その躍動感と見事な色彩は素晴らしいものでした。もう、それで十分でした。冷たい世間から与えられなかった慰めと平安を、彼は十字架のキリストの中に見たのです。 夜が明け、ネロとパトラッシュは静かに寄り添い、冷たい大聖堂の中で天の父のもとへ帰っていきました。それは救いの完成でした。この世の冷たさを知る者ほど、神の温かさを深く知ることができます。傷ついた者のそばにおられる神は、痛みをもって愛を語られる方だからです。ネロが見上げた十字架のキリストは、今も私たちの中にいます。その打たれた御手が、私たちの涙をぬぐい、癒しと平安を与えてくださいます。
《祈り》主よ、あなたは、私たちの痛みをその身に背負ってくださいました。あなたの打たれた御手の中に、あなたの愛があります。どうか、私たちの痛みをあなたの癒しに変えてください。
牧師 和田一郎
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