自分をごまかすと後が苦しい
「ダビデはその装束の上にサウルの剣を帯びて歩いてみた。だが彼はこれらのものに慣れていなかった。ダビデはサウルに言った。「こんなものを着たのでは、歩くこともできません。慣れていませんから。」ダビデはそれらを脱ぎ捨てると、自分の杖を手に取った。そして川岸で滑らかな石を五つ選び、身に着けていた羊飼いの袋に入れ、石投げを手にして、あのペリシテ人に近寄った。」 (サムエル記上17章39-40節)
聖書には、まだ若かったダビデが巨人ゴリアトと戦う場面があります。戦いに臨むダビデに、サウル王は自分の鎧を着せようとします。立派で重厚な鎧です。しかし、ダビデはそれを身につけて歩こうとした時、「これでは戦えない」と気づきます。自分の体に合わない。自分らしく戦えない。そう悟ったダビデは勇気をもって鎧を脱ぎ、それまで羊飼いとして使ってきた杖と、石投げと、神への信頼だけで戦いに向かったのです。 私は高校生の進路を決める時期に「君は何をしたいのか?」という問いに答えられませんでした。周りの友人たちは次々と進路を語り始めて「遅れてはいけない・・・」 そんな思いに押され、「スポーツが得意だから体育の教員になります」と苦し紛れで口にしてしまいました。その言葉に自分自身を従わせるように教員免許が取れる大学に進みましたが、教育実習に行った時、本音がうずいてきて「これが自分の道だとは思えない」と息が詰まる思いがしました。誰に責められたわけでもなく、失敗したわけでもない。苦し紛れに言った言葉から、重い見えない鎧を着せられたような感覚が続いていたのです。 ダビデは、合わない鎧を脱ぎ捨てることで、本当の力を発揮しました。自分をごまかさず、神がくださった自分のままで歩む勇気を選びました。人からの期待に合わせようとする道は、一見安全に見えても、長く歩けば苦しくなる。遠回りに見えても「自分自身でいること」を選ぶ道に、やがて光が差す時が来るのです。
《祈り》主よ、近ごろ私は思うのです。あなたがくださった本当の自分を見失っているのではないかと。人の期待に応えようとしていくうちに、心を縛っている気がします。神さま「本当の自分」でいるとは難しいですね。あなたの目に尊く造られた者として生きることができますように。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
聖書には、まだ若かったダビデが巨人ゴリアトと戦う場面があります。戦いに臨むダビデに、サウル王は自分の鎧を着せようとします。立派で重厚な鎧です。しかし、ダビデはそれを身につけて歩こうとした時、「これでは戦えない」と気づきます。自分の体に合わない。自分らしく戦えない。そう悟ったダビデは勇気をもって鎧を脱ぎ、それまで羊飼いとして使ってきた杖と、石投げと、神への信頼だけで戦いに向かったのです。 私は高校生の進路を決める時期に「君は何をしたいのか?」という問いに答えられませんでした。周りの友人たちは次々と進路を語り始めて「遅れてはいけない・・・」 そんな思いに押され、「スポーツが得意だから体育の教員になります」と苦し紛れで口にしてしまいました。その言葉に自分自身を従わせるように教員免許が取れる大学に進みましたが、教育実習に行った時、本音がうずいてきて「これが自分の道だとは思えない」と息が詰まる思いがしました。誰に責められたわけでもなく、失敗したわけでもない。苦し紛れに言った言葉から、重い見えない鎧を着せられたような感覚が続いていたのです。 ダビデは、合わない鎧を脱ぎ捨てることで、本当の力を発揮しました。自分をごまかさず、神がくださった自分のままで歩む勇気を選びました。人からの期待に合わせようとする道は、一見安全に見えても、長く歩けば苦しくなる。遠回りに見えても「自分自身でいること」を選ぶ道に、やがて光が差す時が来るのです。
《祈り》主よ、近ごろ私は思うのです。あなたがくださった本当の自分を見失っているのではないかと。人の期待に応えようとしていくうちに、心を縛っている気がします。神さま「本当の自分」でいるとは難しいですね。あなたの目に尊く造られた者として生きることができますように。
牧師 和田一郎
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