「生かされた命には、意味がある」 その時モーセは考えた①

全12回 月曜-火曜
「ファラオの娘は彼女に言った。「この赤子を連れて行って、私のために乳を飲ませなさい。私が手当てを払います。」そこで、母親は赤子を引き取り、乳を飲ませた。」 (出エジプト記2章9節)
 「あなたの目は胎児の私を見ておられた」 エジプトのファラオの命令によって、ヘブライ人への迫害があり、ヘブライ人の男の子は生まれると同時殺されていました。モーセもまた、本来であれば生き延びることが難しい存在でした。母は三か月の間、必死にモーセを隠しますが、限界が来たとき、彼女は一つの決断をします。葦で作ったかごに赤ちゃんのモーセを入れナイル川に委ねたのです。それは神に託す行為でした。人の力では守りきれない命を、神の御手にゆだねたのです。 そのかごを見つけたのが、皮肉にもファラオの娘でした。彼女は赤子がヘブライ人の子であることを知りながらも、憐れみの心をもって言います。 「この赤子を連れて行って、私のために乳を飲ませなさい。私が手当てを払います。」 この言葉によって、モーセは実の母の手に託され、ヘブライ人の信仰と歴史を教わりながら成長することになります。ここに、人知を超えた神の導きを見ることができます。 モーセはこの出来事を後に振り返って思ったのではないでしょうか。「自分は生かされた。ただ生き延びただけではない。生かされた命には、意味があるのだ」と。 「あなたの目は胎児の私を見ておられた。私のために造られる日々が、まだ一日も始まらないうちから、あなたの書にすべて記されていた。」(詩編139編) モーセは波乱の人生であっても生き抜いていきますが、その土台には、「私は生かされた存在だ」という原体験があったのではないでしょうか。生かされた命には意味があります。その意味は、すぐに分からなくても、神は時をかけて、その意味を私たちに示してくださるのです。
《祈り》主よ、自分の存在の意味が見えず、不安中に立つことがあります。そのような時にも、「生かされた命には意味がある」と、あなたが静かに語りかけてくださいます。与えられている今日という一日を、あなたに信頼し、大切に生きることができますように。
牧師 和田一郎
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