被造物を守る

「神である主は、エデンの園に人を連れて来て、そこに住まわせた。そこを耕し、守るためであった。」 (創世記2章15節)
 毎年、教会では5月に御殿場の冨士霊園で墓所礼拝を行いますが、その時に一つの楽しみがあります。御殿場は富士山の伏流水を活かした稲作が盛んな地域で、5月には田んぼに水が入り、その先にそびえる富士山を眺めることができるのです。瑞々しい水田と雄大な富士山、まさに日本を象徴する美しい風景です。 水田(すいでん)というのは、人工的に作られた湿原と言えます。稲作の最大の特徴は「人が手入れする自然」をつくり出すことにあります。それは完全な野生でもなく、完全な人工でもありません。人が関わり整えることで保たれてきた場所です。 聖書には、神が世界を創造されたとき、人に「耕し、守る」という役割を与えられたとあります。「守る」という言葉は、被造物である自然を支配・搾取することを意味しません。「守る」とは被造物の世話をし、保全し、命が続いていくように気を配ることです。 水田はまさに、人が自然と向き合いながら、いのちが豊かに育つ環境を守ってきた姿と言えるのではないでしょうか。それに水田は水を急がせないで、ゆっくりと循環させて海へと流れさせる役割があります。雨が山に降り、用水路を通り、田を潤し、川へ、そして海へと流れていく。水を堰き止めるのでもなく、ただ急がせず、自然と人の生活にふさわしい速度に整えます。現代社会は、効率を求めスピードを良しとしがちですが、水田が教えてくれるのは、神の創造のリズムに人が寄り添う生き方です。 さらに、稲作は一人では成り立ちません。水路の管理、田植えや稲刈りの助け合い、共同体での水の取り決めなどがあり、そこに、分かち合いの文化が育まれてきました。 聖書もまた「互いに重荷を担いなさい。そうすれば、キリストの律法を全うすることになります」(ガラテヤ6:2)。と共同体の大切さを繰り返し語ります。 神さまは、人を園の外から支配者として置かれたのではなく、園の中に住まわせ、神と被造物が共に生きるために置かれました。それが、「守る」という務めなのです。 今、環境問題や社会の分断が深まる現代において、「耕し、守る」という創世記の言葉は、改めて重みをもって響きます。
《祈り》神さま、この世界が抱える環境の痛み、分断の苦しみの中で、あなたが託された「守る」という使命を、小さくても誠実に果たしていくことができますように。
牧師 和田一郎
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