神のユーモア
「主の言葉が私に臨んだ。『エレミヤよ、何が見えるか。』私は答えた。『アーモンドの枝が見えます。』主は私に言われた。『あなたの見たとおりだ。私は、私の言葉を実現するために見張っている。』」 (エレミヤ書1章11-12節)
新年あけましておめでとうございます。 1957年の夏、メンソレータムで知られる近江兄弟社の創始者であり、宣教師・建築家でもあった W・ヴォーリズ氏が、近江から軽井沢へ向かうため駅で列車を待っていました。見送りの人々に向かって、彼はこう言います。「東京『行き』の列車に乗りますが、この暑いのに東京は『雪』らしいですよ」。言葉遊びの冗談に、周囲は笑顔になりました。しかし、ただ生真面目な駅長だけはヴォーリズの冗談が分からなかったということです。 ヴォーリズは多くの人をキリストへと導いた宣教師でしたが、けっして堅苦しい人ではなく、いつも笑いと温かさがあったそうです。 聖書にもユーモアがあります。若いエレミヤに神さまは預言者となる使命を与えようと問いかけました。「エレミヤよ、何が見えるか」。彼が「アーモンドの枝が見えます」と答えると、神は「あなたの見たとおりだ。私は、私の言葉が実現するために見張っている」と言われました。ここにはヘブライ語の言葉遊びがあります。「アーモンド(シャーケード)」と「見張っている(シャーカド)」が音で響き合ったダジャレになっているのです。 若者にとって神さまから語られるという厳粛な場面で、神はユーモアを用い、青年エレミヤの心を和らげたのでしょうか。彼の気づきを促す神の優しさであるのかも知れません。もしかすると神ご自身も、ユーモアを楽しみながら、人に語りかけておられるのではないでしょうか。神と人との関係が本来、温かく、生き生きとしたものであることを思い起こさせてくれるのです。 「サラは言った。『神は私を笑わせてくださいました。このことを聞く人は皆、私を笑うでしょう。』」(創21:6) そうです。神は私たちに笑顔を与えてくださる方なのです。
《祈り》神さま、新しい年の初めに、あなたの御前に静かに立ちます。あなたは私たちを喜ばせてくださる方。この一年、神様と隣人との交わりの中に、豊かな笑いが満ち溢れますように。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
新年あけましておめでとうございます。 1957年の夏、メンソレータムで知られる近江兄弟社の創始者であり、宣教師・建築家でもあった W・ヴォーリズ氏が、近江から軽井沢へ向かうため駅で列車を待っていました。見送りの人々に向かって、彼はこう言います。「東京『行き』の列車に乗りますが、この暑いのに東京は『雪』らしいですよ」。言葉遊びの冗談に、周囲は笑顔になりました。しかし、ただ生真面目な駅長だけはヴォーリズの冗談が分からなかったということです。 ヴォーリズは多くの人をキリストへと導いた宣教師でしたが、けっして堅苦しい人ではなく、いつも笑いと温かさがあったそうです。 聖書にもユーモアがあります。若いエレミヤに神さまは預言者となる使命を与えようと問いかけました。「エレミヤよ、何が見えるか」。彼が「アーモンドの枝が見えます」と答えると、神は「あなたの見たとおりだ。私は、私の言葉が実現するために見張っている」と言われました。ここにはヘブライ語の言葉遊びがあります。「アーモンド(シャーケード)」と「見張っている(シャーカド)」が音で響き合ったダジャレになっているのです。 若者にとって神さまから語られるという厳粛な場面で、神はユーモアを用い、青年エレミヤの心を和らげたのでしょうか。彼の気づきを促す神の優しさであるのかも知れません。もしかすると神ご自身も、ユーモアを楽しみながら、人に語りかけておられるのではないでしょうか。神と人との関係が本来、温かく、生き生きとしたものであることを思い起こさせてくれるのです。 「サラは言った。『神は私を笑わせてくださいました。このことを聞く人は皆、私を笑うでしょう。』」(創21:6) そうです。神は私たちに笑顔を与えてくださる方なのです。
《祈り》神さま、新しい年の初めに、あなたの御前に静かに立ちます。あなたは私たちを喜ばせてくださる方。この一年、神様と隣人との交わりの中に、豊かな笑いが満ち溢れますように。
牧師 和田一郎
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