「怒りは使命を損なう」 その時モーセは考えた⑨
全12回 月曜-火曜
「主はモーセとアロンに言われた。『あなたがたは私を信じることをせず、イスラエルの人々の目の前に、私を聖としなかった。それゆえ、あなたがたは、私が彼らに与えた地にこの会衆を導き入れることはできない。』」 (民数記20章12節)
イスラエルの民は、荒れ野の旅で「喉が渇いた、水が欲しい」と不平不満を口にしていました。モーセは怒りをあらわにしまし「反逆者たちよ」と民を叱責し、岩を二度打ったのです。その結果、水は湧き出ました。しかし、神はこの行為を厳しく退けられました。 モーセの怒りは、長年の重責と疲労の中から生まれたのかもしれません。しかし神は明確に「岩に語れ」と命じておられました。ところがモーセは、語る代わりに岩を打ちました。それも二度です。かつて(出エジプト17章)岩を打って水が出たことで人々を歓喜させましたが、過去の成功体験が、従順な姿勢を失わせてしまいました。 さらに「この岩から水を出してやろうか」というモーセの言葉です。神の業であるはずの出来事が、いつの間にか「自分の行為」のようになっています。怒りは、人を自己中心へと引き寄せ、神さまの存在を曇らせてしまうのです。 感情に支配されることは、その使命そのものを危うくします。神さまは「怒り」そのものを全面的に否定しているわけではありません。しかし、怒りが前面に出るとき、神の義を表す働きは損なわれます。だからこそ聖書はこう語ります。 「人の怒りは神の義を実現しない」(ヤコブの手紙1章20節) 私たちも、正しさゆえに怒ることがありますが、その怒りが神への信頼と従順を曇らせていないか問い直す必要があります。
《祈り》神さま、苛立ちや、せっかちになって、自分の力で「打とう」としてしまう時があります。知らず知らずのうちに、あなたの御業を自分の業にしています。「いつも喜んでいなさい」との御言葉を思い起こし、あなたに委ねることができますように。
牧師 和田一郎
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発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
「主はモーセとアロンに言われた。『あなたがたは私を信じることをせず、イスラエルの人々の目の前に、私を聖としなかった。それゆえ、あなたがたは、私が彼らに与えた地にこの会衆を導き入れることはできない。』」 (民数記20章12節)
イスラエルの民は、荒れ野の旅で「喉が渇いた、水が欲しい」と不平不満を口にしていました。モーセは怒りをあらわにしまし「反逆者たちよ」と民を叱責し、岩を二度打ったのです。その結果、水は湧き出ました。しかし、神はこの行為を厳しく退けられました。 モーセの怒りは、長年の重責と疲労の中から生まれたのかもしれません。しかし神は明確に「岩に語れ」と命じておられました。ところがモーセは、語る代わりに岩を打ちました。それも二度です。かつて(出エジプト17章)岩を打って水が出たことで人々を歓喜させましたが、過去の成功体験が、従順な姿勢を失わせてしまいました。 さらに「この岩から水を出してやろうか」というモーセの言葉です。神の業であるはずの出来事が、いつの間にか「自分の行為」のようになっています。怒りは、人を自己中心へと引き寄せ、神さまの存在を曇らせてしまうのです。 感情に支配されることは、その使命そのものを危うくします。神さまは「怒り」そのものを全面的に否定しているわけではありません。しかし、怒りが前面に出るとき、神の義を表す働きは損なわれます。だからこそ聖書はこう語ります。 「人の怒りは神の義を実現しない」(ヤコブの手紙1章20節) 私たちも、正しさゆえに怒ることがありますが、その怒りが神への信頼と従順を曇らせていないか問い直す必要があります。
《祈り》神さま、苛立ちや、せっかちになって、自分の力で「打とう」としてしまう時があります。知らず知らずのうちに、あなたの御業を自分の業にしています。「いつも喜んでいなさい」との御言葉を思い起こし、あなたに委ねることができますように。
牧師 和田一郎
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