似て非なるもの

「あなたがたをキリストの恵みによって召してくださった方から、こんなにも早く離れて、別の福音へ移ってしまうことが、私には不思議でなりません。もっとも、別の福音などはありません。」 (ガラテヤの信徒への手紙1章6–7節)
 かつて香川県を訪れ、讃岐うどんを口にしたとき、夏の暑さの中で添えられていたスダチの爽やかな香りと酸味が美味しかった。麺もダシもスダチも、まさに「その土地でしか味わえない恵み」でした。家でもうどんを食べるようになり、スダチを買おうと思いましたが品切れで「似ているし同じようなモノだろう」とカボスを買ってきたが、やっぱり何かが違った。 スダチとカボスは見た目はよく似ていて、味も似てはいる。調べてみると、スダチは徳島、カボスは大分の特産品。やはり、四国の讃岐うどんにはスダチが合うのだと納得しました。 スダチもカボスも「酢みかん」と呼ばれ、料理に酸味を添える脇役です。主成分はどちらもクエン酸で、同じ役割を果たしながらも、その個性は確かに異なっています。 「似姿違質」(じしいしつ)という言葉を見つけました。「姿は似ていても、質は異なる」。外見や表面的な働きが似ていても、本質は違うという意味です。この言葉は、食材に限らず、私たちの生き方そのものを映し出しているように思えます。 聖書もまた、「似て非なるもの」に注意するよう語ります。とりわけ使徒パウロは、生まれたばかりのキリスト教会の中に入り込み、もっともらしい言葉で人々を惑わす教えに、繰り返し警鐘を鳴らしました。 パウロが問題にしたのは「キリストを信じるだけでは不十分。救われるためには割礼を受け、ユダヤ人と同じように律法を守らなければならない」という、似て非なる教えです。古い教えを「付け足す」ことで、福音そのものを歪めてしまう教えでした。パウロは「こんなにも早く、別の福音へ移ってしまうとは・・・」と語ります。 「別の福音」とは、まったく異なる宗教ではありません。キリストの名を用い、聖書を引用しながら語られる、しかし本質において異なるものです。まさに「似て非なるもの」でした。パウロは「割礼があるかないかは問題ではなく、愛によって働く信仰こそが大切なのです。」(ガラテヤ5章6節)と断言しました。
《祈り》恵み深い神様、似ている言葉や教えに惑わされることなく、福音の本質を見分けて歩ませてください。「キリストの恵み」から、「自分の功績」へとすり替わってしまわないように見守ってください。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/