北の教会

「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである。」 (マタイによる福音書18章20節)
 教会は、人間の熱心さや計画だけで「作り上げる」ものではなく、キリストの名によって祈り集まる所に、主ご自身が臨在してくださり、教会はすでに成立しています。  明治期のキリスト教伝道者を代表する人物の一人である内村鑑三は、札幌農学校に入学した当初、キリスト教を強く嫌っていました。内村は、「日本には八百万の神が存在しており、日本人はその神々によって守られている」と信じていたからです。 しかし、同じ年に入学した新渡戸稲造(旧5000円札の肖像)をはじめとする仲間たちが次々にキリストを信じるようになると、内村自身もやがてキリスト教信仰を受け入れるようになりました。内村は頑固一徹で気性が激しく、多感な少年でしたが、その一方で、非常に純粋で無垢な気質を持っていたとも言われています。そんな内村にとってキリストへの信仰は、精神の自由をもたらしました。 翌年、函館のメソジスト教会から巡教に来たハリス牧師から、内村と新渡戸は仲間たちと共に洗礼を受けました。洗礼名は自分で選ぶことになっており、新渡戸は「パウロ」、内村鑑三は「ヨナタン」という名を選びます。豪胆な印象の内村にしては、どこか愛らしい名であり、彼らは互いに洗礼名で呼び合うようになりました。 新渡戸は、「もし神が全能であり、何でもできる存在だとするなら、神は自殺することもできるのか」といった難解な問いを投げかけ、内村たちを悩ませることもありました。 一方で彼らは農場の片隅で宴会を開いたり、野球を楽しみ、山に登ったり、馬に乗って遠出をしたりするなど、学園生活を楽しんでいました。 日曜日は安息日です。この日だけは活動を控え、静かに神と向き合う時間を大切にしていました。彼らは寮の部屋を教会に仕立て、樽を講壇の代わりに用い、全員が交代で牧師役を務めて説教をし、ほかの者は信徒となって聖書を朗読しました。 彼らは「学校を離れても心は一つであり続けよう!」と札幌に教会を建てることを決意しました。そのときに彼らが借金をして建てた「札幌独立キリスト教会」は現在も存続しています。この教会では、内村・新渡戸らが農学校で自由に説教をしていたスタイルをそのまま受け継ぎ、今も牧師を置かずに交代で説教を行っているそうです。 (『北の星たち』芦原伸著より)
《祈り》主よ、小さな祈り、小さな集いの中でも、あなたの御名に信頼して集うところに教会が建ちます。この国に多くの教会が建ちますように。
牧師 和田一郎
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