私は生を探っているのです

「天は神の栄光を語り 大空は御手の業を告げる。」 (詩編19編2節)
 昆虫学者アンリ・ファーブルが生きた19世紀は、生物学が大きく転換した時代でした。それまでの生物学は、自然界の動植物を観察し、分類し、標本として収集することが中心でしたが、顕微鏡の発達により細胞の研究が進み、生物学は「実験と理論の科学」へと変わっていきます。 さらに、ダーウィンの進化論が世界に大きな影響を与え、生き物の存在は偶然の積み重ねによって説明されるようになっていきました。そのような時代の中で、ファーブルは独特の立場に立ち続けました。自然への驚きと敬意を失うことなく、野外での観察に徹したのです。実験室ではなく、青空の下で、昆虫が生きるそのままの姿を見つめ続けました。彼はこう語っています。 「あなた方は虫の腹を裂いておられる。だが私は生きた虫を研究しているのです・・・あなた方は薬品を使って細胞や原形質を調べておられるが、私は本能の、もっとも高度な現れ方を研究しています。あなた方は死を詮索しておられるが、私は生を探っているのです。」(『ファーブル昆虫記』奥本大三朗訳) この言葉は、「何を見ようとしているのか」という視点の違いを語っているように思います。分解し、分析する研究も大切ですが、生きているものの不思議さや、与えられている命の驚きを、ファーブルは大切にしていたようです。 詩編の記者は、「天は神の栄光を語り、大空は御手の業を告げる」と語ります。私たちの目の前にある世界は、単なる物質の集まりではなく、神の御手の業を映し出すものです。小さな虫の命も、風に揺れる草花も、すべてが神の栄光を語っています。「生」へのまなざしを持つとき、当たり前と思っていた命が、かけがえのないものとして見えてきます。そして、この世界は偶然に存在しているのではなく、神の御手の中で生かされていることを実感するのではないでしょうか。
《祈り》 創造主なる神さま。大空も大地も、そして小さな虫の命も、あなたが造られたこの世界には、美しい秩序があります。しかし私たちは、忙しさや慣れの中で、その驚きを失っています。どうぞ、命を命として見つめるまなざしを与えてください。
牧師 和田一郎
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