異国の女を犬と呼ぶなんてひどい?
「イエスは言われた。『まず、子どもたちに十分に食べさせるべきである。子どもたちのパンを取って、小犬に投げてやるのはよくない。』」 (マルコによる福音書7章27節)
イエスさまがツロ地方を訪れたとき、一人の女性が助けを求めてやって来ました。彼女の娘が悪霊に苦しめられていたのです。彼女はユダヤ人ではなく、シリア・フェニキア出身の異邦人でした。ところが、イエスさまはすぐには願いを聞き入れず「子どもたちのパンを小犬に与えるのはよくない」と言われました。 「子どもたち」というのはユダヤ人のこと。ユダヤ人の救いを、「子犬」、つまり異邦人に与えるのはよくないと言うのです。今の私たちには、あまりに冷たい言葉です。異邦人の女性を「子犬」なんてひどい言葉に聞こえるのです。しかし、ここで使われている「子犬」とは、野良犬を指す侮辱的な表現ではなかったようです。 ギリシャ語の「小さい、少し」という意味ですが、愛情と親近感のあるニュアンスの言葉で、言語学では指小辞(ししょうじ)と呼ばれる言葉であったようです。「プチ犬さん」といったニュアンスでしょうか。ですから、この女性は憤慨することなく、受け答えます。「主よ。でも、小犬でも子どもたちのパン屑はいただきます。」 とても機転の利いた答えです。彼女はイエスさまの言葉の中に、拒絶ではなく希望を見いだしたのです。「たくさんは要りません。ただ、ほんの少しの恵みで十分です」と。この女性は、自分の立場の弱さを知っていました。しかし、それ以上にイエスさまの憐れみを信じていました。その信頼をイエスさまは喜ばれ、娘はその場にいなくても癒やされたのです。 この女性は諦めませんでした。自分の資格ではなく、神の恵みに望みを置いたのです。神様の恵みは、ユダヤ人だけでなく異邦人にも、そして今日の私たちにも開かれています。食卓から落ちるパン屑ほどの恵みでさえ、人の人生を変える力があります。だから私たちも、この女性のように大胆に祈り続けたいのです。神様の憐れみは、私たちが思うよりもはるかに大きいのです。
《祈り》神よ、食卓から落ちるパン屑ほどの恵みであっても、あなたの私たちの人生を変える力があります。どうか今日もあなたの豊かな恵みをお与えください。
牧師 和田一郎
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発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
イエスさまがツロ地方を訪れたとき、一人の女性が助けを求めてやって来ました。彼女の娘が悪霊に苦しめられていたのです。彼女はユダヤ人ではなく、シリア・フェニキア出身の異邦人でした。ところが、イエスさまはすぐには願いを聞き入れず「子どもたちのパンを小犬に与えるのはよくない」と言われました。 「子どもたち」というのはユダヤ人のこと。ユダヤ人の救いを、「子犬」、つまり異邦人に与えるのはよくないと言うのです。今の私たちには、あまりに冷たい言葉です。異邦人の女性を「子犬」なんてひどい言葉に聞こえるのです。しかし、ここで使われている「子犬」とは、野良犬を指す侮辱的な表現ではなかったようです。 ギリシャ語の「小さい、少し」という意味ですが、愛情と親近感のあるニュアンスの言葉で、言語学では指小辞(ししょうじ)と呼ばれる言葉であったようです。「プチ犬さん」といったニュアンスでしょうか。ですから、この女性は憤慨することなく、受け答えます。「主よ。でも、小犬でも子どもたちのパン屑はいただきます。」 とても機転の利いた答えです。彼女はイエスさまの言葉の中に、拒絶ではなく希望を見いだしたのです。「たくさんは要りません。ただ、ほんの少しの恵みで十分です」と。この女性は、自分の立場の弱さを知っていました。しかし、それ以上にイエスさまの憐れみを信じていました。その信頼をイエスさまは喜ばれ、娘はその場にいなくても癒やされたのです。 この女性は諦めませんでした。自分の資格ではなく、神の恵みに望みを置いたのです。神様の恵みは、ユダヤ人だけでなく異邦人にも、そして今日の私たちにも開かれています。食卓から落ちるパン屑ほどの恵みでさえ、人の人生を変える力があります。だから私たちも、この女性のように大胆に祈り続けたいのです。神様の憐れみは、私たちが思うよりもはるかに大きいのです。
《祈り》神よ、食卓から落ちるパン屑ほどの恵みであっても、あなたの私たちの人生を変える力があります。どうか今日もあなたの豊かな恵みをお与えください。
牧師 和田一郎
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