見つめ続ける信仰

「信仰の導き手であり、完成者であるイエスを見つめながら、走りましょう。」 (ブライ人への手紙12章2節)
 ある国に、アルハという貧しい若者がいました。ある金持ちが彼に賭けを持ちかけます。「スルタ山の一番高い峰の上で、一晩中、裸で立っていられたら、家と牛とヤギ、それに四十ヘクタールの畑をやろう。」山頂には激しい風が吹きつけています。とても耐えられるような寒さではありません。アルハはとても無理だと思いました。 しかし、一人の老人が知恵を授けました。「向かいの山の上で、一晩中、わしが火を燃やしてやろう。お前はその火を見つめ続けるのだ。火の暖かさを思い浮かべるんだ。決して目をそらしてはいけない。」その夜、老人は約束どおり火を絶やしませんでした。アルハは冷たい風に震えながら遠くに見える炎を見つめ続け、試練に耐え抜いたのでした。(『心のいる場所』青木省三)  この話で興味深いのは、向かいの山の火がアルハの体を暖めたわけではないということです。遠くの炎の熱は青年のもとまで届きません。しかし「誰かが自分のために一晩中、火を燃やし続けてくれている」という事実は、彼の心を暖めました。 人生には、厳しい寒風にさらされ「もう耐えられない」と思うことがあります。そのような時、私たちを支えるのは、自分の強さではありません。聖書は「信仰の導き手であり、完成者であるイエスを見つめながら、走りましょう」と語ります。イエスを見つめ続ければ、人生を走り抜くことができるのです。青年が見つめた炎は老人の愛情でした。私たちにとって、その炎は十字架のイエス・キリストです。 十字架において、主はご自分の命を献げるほどに私たちを愛してくださいました。人生の風がどれほど冷たくとも、主は私たちのために愛の火を絶やされることはありません。だからこそ私たちは、目の前の困難を見るのではなく、イエスさま見つめ続けて歩んでいきたいのです。その時、私たちは自分の力ではなく、主の変わらない愛によって信仰の道を最後まで走り抜くことができるのです。
《祈り》私たちの目には、冷たい風や険しい道ばかりが見えてしまうことがあります。どうか私たちが、目の前の困難に心を奪われるのではなく、信仰の創始者であり完成者である主イエスを見つめ続ける者とならせてください。あなたの励まし慰めによって、再び立ち上がる力をお与えください。
牧師 和田一郎
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