キリストの僕

「キリスト・イエスの僕パウロとテモテから、フィリピにいるキリスト・イエスにあるすべての聖なる者たち、ならびに監督たちと奉仕者たちへ。」(フィリピ1:1)  「僕」とは「奴隷」のことです。 ところで、奴隷になることは一番い […]

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注ぎ出す祈り

「ハンナは答えた。『いいえ、そうではありません、…主の前に自分の胸の内を注ぎ出していたのです。』」(サムエル記上1:15)  ハンナは自分のことを「心に憂いを持った女」と呼びました。新共同訳では「深い悩みを持った女」と訳 […]

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主イエスが与える自由

「私の言葉にとどまるならば、あなたがたは本当に私の弟子である。あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にする。」(ヨハネ8:31−32)  ある日、イエスさまはゲラサの悪魔憑きの男に「名は何というのか」と尋ねました […]

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イエスさまにつながる

「私を離れては、あなたがたは何もできないからである。」(ヨハネ15:5)  小学生の頃、「じゃがいも」というあだ名で呼ばれていたことがありました。背が低く、おまけにコロコロしていたからです。小さい頃の私は、背が低いという […]

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私は良い羊飼い

「私は良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」(ヨハネ10:11)  生まれつき目の見えない人がいました。弟子たちはイエスさまに訊ねます。彼の目が見えないのは、誰が罪を犯したからですか、と。 それに対してイ […]

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神に愛されている子どもとして

「ですから、神に愛された子どもとして、神に倣う者となり、」(エフェソ5:1)  聖書の福音は、私たちが一生懸命頑張り、真面目にやり、私の側ですべきことをしっかりしていないと天国に行けない、と語ってはいません。 時々、親が […]

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究極の一歩手前の真剣さで

「信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら」(ヘブライ12:2、新共同訳)  ヘブライ人への手紙は、今の時代を生きるクリスチャンのことを、福音のタスキを肩からかけて走っているリレー走者にたとえています。 リレーの […]

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神に知られている

「ところが、献酌官長はヨセフのことを思い出さず、忘れてしまった。」(創世記40:23)  この時のヨセフは「忘れ去られる不安」との戦いの中に置かれていました。こうした不安から、どのようにしたら解放されるのでしょうか。それ […]

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メメントモリ

「ヨセフは兄弟に言った。『私は間もなく死にます。しかし神は必ずあなたがたを顧み、この地からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた土地に導き上ってくださいます。』ヨセフはさらにイスラエルの子らにこう言って誓わせた。『神は必ず […]

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必要を満たしてくださるお方

「彼らは荒れ野をさまよい/不毛の地で人の住む町に至る道を見いだせず/飢え、また渇き/命は衰え果てようとしていた。苦難の中で主に叫ぶと/主は彼らを苦しみから助け出した。主は彼らをまっすぐな道に進ませ/人の住む町に向かわせた […]

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