自分の十字架

「私の後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を負って、私に従いなさい。自分の命を救おうと思う者は、それを失うが、私のため、また福音のために自分の命を失う者は、それを救うのである。」 (マルコによる福音書8章34-35節)
 広岡浅子(1849―1919年)は、明治の時代に活躍した数少ない女性実業家の一人でNHKの朝ドラ『あさが来た』のモデルとしても知られています。彼女は京都の三井家に生まれ、二歳で大阪の大商人・加島屋広岡家の嫁となりました。 当時は「女に学問は不要」とされていた時代でしたが、浅子はこっそり帳簿を読み、独学で算術や経営を学びました。やがて幕末から明治にかけての激動の中で、夫の家業である加島屋を支え、炭鉱・銀行・商社・紡績会社など、次々と事業を立ち上げていきました。その働きぶりは、まさに「九転十起(何度倒れても十回目に起き上がる)」という彼女の信条そのものです。 浅子が晩年に特に力を入れたのは、教育と福祉の分野でした。女子の高等教育を目指す成瀬仁蔵と出会い、共に日本女子大学を創設します。のちにクリスマスの日に受洗し、キリスト者として生きるようになった彼女は、単なる事業家ではなく、「神と人に仕える人」として生涯を捧げました。社会の痛みを自分のものとして背負い、「信仰は自分の安心のためでなく、苦しむ人々と共に歩むこと」だと悟ったのです。 浅子は著書にこう記しています。
「キリストに救われてここに十年、単にわが身の安心立命をもって足れりとせず、国家、社会の罪悪をその身に担うてこれと闘うにあらざれば、真に十字架を負うてキリストに従う者にあらざるを悟り…」(『一週一信』広岡浅子著)  まさに社会・国家のために尽くすことを自分の十字架として背負う覚悟を決めて生きたのです。まさに「自分を捨て、自分の十字架を負って、私に従いなさい」というマルコ福音書の言葉に従ったのです。浅子は、この御言葉のように、信仰を行動に変えた女性でした。自分の力ではなく、神の導きを信じて立ち上がり続けました。彼女の生涯は、私たちに「倒れてもまた立ち上がる勇気」を教えてくれます。
《祈り》神さま、女性が学ぶことも働くことも制限された時代にあって、その女性はあなたから与えられた使命を信じ、恐れずに挑戦し続けました。私たちの信仰が、ただ自分の慰めにとどまらず、隣人を支える行動となりますように。
牧師 和田一郎
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