どこに立つべきか?

「ヨシュアがエリコにいたときのことである。彼が目を上げると、抜き身の剣を手にした人がこちらに向かって立っていた。ヨシュアが歩み寄って、『あなたは私たちの味方か、それとも私たちの敵か』と尋ねると、その人は『いや、私は主の軍勢の長である。今やって来たのだ』と答えた。」 (ヨシュア記5章13-14節)
 アメリカ南北戦争のさなか、北軍が優勢になった時、ある人がリンカーン大統領にこう語ったそうです。「我々はもう恐れる必要はありませんね。神様が我々の側にいるからです。」するとリンカーンは静かに答えました。「そうですね。しかし、今、私たちにとって本当に大切なことは、私たちが神様の側にいるということです。」 私たちは「神様、どうか私の計画を成功させてください」「私たちの味方でいてください」と祈ることが少なくありません。しかし、聖書が問いかけるのは「神が私たちの側にいるか?」ではなく、「私たちが神の側に立っているか?」ということです。 ヨシュア記5章には、そのことを象徴する出来事が記されています。約束の地に入り、いよいよ難攻不落のエリコを前にしたヨシュアは、剣を抜いた一人の人と出会います。ヨシュアは尋ねました。「あなたは味方ですか、敵ですか」すると、その人は「いや、私は主の軍勢の長である。」と答えます。不思議な答えです。味方か?敵か?という問いには答えず「私は主の側に立つ者だ」と語ったのです。ヨシュアはその場でひれ伏しました。戦いの勝利は、神を自分の味方につけることではなく、自らが神の御心に従うことから始まるのだと悟ったのです。 私たちも人生の岐路で「私の願いを聞いてください」と願います。それは構いません。しかし、その祈りに先立って「私は神の側に立って歩んでいるでしょうか」と自らに問い直すことが大切です。神さまは私たちの願いをかなえるための存在ではありません。私たちを愛し、真実へと導いてくださる方です。だからこそ、自分の思いを神に合わせる歩みこそが、平安と祝福への道なのです。
《祈り》神よ、私はこれまで、私の側に立っていただこうと願い祈ってばかりいました。しかし、それは、あなたを自分の願いに従わせようとするものでした。「あなたは私の味方ですか」と問う前に、「私はあなたの御心の側に立っているでしょうか」という問いが乏しかったと気付きました。今日、あなたの御心に立って歩む一日とさせてください。
牧師 和田一郎
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