土の器

「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。」 (2コリント4:7)

 人間は「土の器」であります。人が「土の器」であるということには、深い意味があると思います。
土ですから風が吹けば宙に舞い上がりますし、何もない時には、実は目に見えない地球の引力にひきつけられて、じっとしている状態であります。
風や地球の様々な力に本当に簡単に影響を受けてしまうような弱い存在です。

 「進行性筋ジストロフィー」という難病にかかった石川さんという青年が14歳の時、こんな詩を書いています。
「人間の心なんて/積み木みたいなものなんだね/ちょっとさわれば/すぐ崩れてしまう」
ちょっとした周りの人の言葉、あるいはちょっとした出来事に遭遇して、私たちの心はすぐに萎えてしまうことがあります。そして体と心はいつも1つですから、心が弱くなると途端に体の力もなくなってきます。
本当に不思議ですが・・。石川さんは、周りの人を観察しながら、いわゆる「健康」と言われる人をも含めて、自分たちは何と積み木のように壊れ易いものなのだろうと言ったのです。
聖書が、私たち人は、塵の塊としての「土の器」として造られているということを、私たちが日々の生活で実感することであります。

 この石川さんの詩は、これで終わっていません。その続きがあります。「だから神様の根を 心の中にたくさん/張らしておかなくてはならない」と続けるのです。
「人間の心なんて/積み木みたいなものなんだね/ちょっとさわれば/すぐ崩れてしまう/だから神様の根を 心の中にたくさん/張らしておかなくてはならない」
石川さんは、私たちの心がいかに「もろく」?積み木みたいに壊れやすいものであるかを実感していました。
だから彼は、その土の器に抱え持つ「キリストの復活の命」を見いだすために、イエス?キリストの神様に心を向けるように、彼は心を高く上げ、上にあるものを求めたのであります。

今日一日、わたしたちも神様に心を向けて歩んでいきましょう。

 いってらっしゃい

 牧師 松本雅弘

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