天国への引っ越し
「ヨセフは兄弟たちに言った。『わたしは間もなく死にます。しかし、神は必ずあなたたちを顧みてくださり、この国からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた土地に導き上ってくださいます。』
それから、ヨセフはイスラエルの息子たちにこう言って誓わせた。『神は、必ずあなたたちを顧みてくださいます。そのときには、わたしの骨をここから携えて上ってください。』」
(創世記50:24,25)
ヨセフは天国への引越しの時を迎えています。この時、信仰者ヨセフがしたことは、愛する家族に宝物を残そうと努力したことでした。ヨセフが残そうとした宝物、その宝とは何でしょうか。そうです。それは「信仰」でした。
この短い遺言の中に、2度、同じ表現が使われています。「神は必ずあなたがたを顧みてくださる。」そして、「神は、必ずあなたたちを顧みてくださいます。」です。ヨセフは、そのようにして神様への確信を子どもたちに伝えたかったのです。
キリスト教に「メメントモリ」、「死を覚えよ」という意味のラテン語の言葉があります。中世の修道院では、この言葉を挨拶代わりに用いていたということです。
朝起きると、「メメントモリ、あなたは死を覚えていますか」と問われます。お昼に会っても「メメントモリ、自分が死すべき存在であることを忘れないでくださいね」。そして、夜、寝る時にも「メメントモリ、いつか必ず死にますよ」と挨拶を交わしたそうです。
少しおかしな、場合によっては気味の悪い挨拶にも思えます。しかし、実際にそのように挨拶を交わしたのです。
最近も、教会で活躍していた方々が亡くなりました。悲しみを覚えると共に、私たちは、いつか天の御国に引越しをする者です。
そこから逆算して、今を生きるように、という問いかけが与えられています。私たちはすべて、やがては天国に行くのだから、そのような者として今を生きるように、と投げかけられていることを覚えていきましょう。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘