まことの道であるイエスさまに導かれて生きる

「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(ヨハネ14:6)

 こんな言葉と出会いました。
 「プライドが高く尊大な人は、はしごが正しい壁にかかっているかどうかよりも、他人と比べてどれだけはしごを登ったかによって安心感を得ようとする。
彼らは、自分よりも下の位置に人がいるのを見て、自分に価値を感じるのである。彼らがめざしているのは、ただ前進することである。
それが間違った方向に前進しているかどうかということは二の次である。」と。

 私たちは、自分の得ばかり考えて生活してしまうことがあります。
そうした思いこそは、誰の心の中にもある「安心感を得たい」、「自分に価値を感じたい」という切実な求めや願いから来るものだと思います。
そうした思いを放置しておく結果、いつの間にか周囲との競争が始まります。
 「それが間違った方向に前進しているかどうかということは二の次」で、大事なことは人よりも抜きんでて安心感を得、自分に価値を感じたいのです。
その結果、自分の得ばかりを考えてしまうことがあるのではないでしょうか。

 ところで、聖書で使われている「人間」という言葉には「上を向く者」という意味があります。元々「天を仰ぎ、礼拝する者」として造られたといことが聖書の人間理解です。
 ところが、まことの神さまを認めずに生きる時、神さま以外のものが「カミ」のようになり、それが気になり平安を失う生き方が始まります。
 どうしたらよいのでしょう? そうです。真の道であるイエスさまに導かれて生きるのです。
イエスさまにつながる時はじめて、周囲を気にする生き方から解放され、イエスさまにあって、あなたのために備えられたユニークな人生を発見し生きることが出来るのです。
 イエスさまこそ、まことの道そのものですから。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘

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