神の御心に従って
「そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。」(1コリント12:18)
コリント教会は、ギリシャの大教会だったそうです。教会員の数はとても多く、それゆえに賜物に恵まれていた教会でした。
ところが残念なことに教会に分裂騒ぎがあり、教会員の賜物が十分に生かされていない状態がありました。使徒パウロはこのコリント教会に宛てて、どのように神からいただいた賜物を管理し、用いていくかについて具体的な勧めをしています。
そうした大切な教えの1つが今日の御言葉です。「そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。」
ところで、あなたは人と比較して優越感を抱いたり、劣等感を持ったりしたことはありませんか? あるいは、他人の賜物をうらやましく思ったりしたことはないですか?
私にはそうした経験が山ほどあります。でも、そんな時に今日の御言葉と出会いました。
実は新改訳聖書では次のように訳されています。「しかしこのとおり、神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。」
「神は、御自分の望みのままに」という箇所を「神はみこころに従って」と訳していました。
この2つの訳を比較し考えるならば、私たちに与えられた賜物や個性は、実は、神さまの願いに従って与えられたもの。それは神さまの御心なのだ、ということなのです。
とするならば、私たちがすべきことは何でしょうか?
もしあなたが「目」ならば、「耳」であるお隣さんを羨んで「耳」になろうと努力することではなく、「目」であることを受けとめ、神さまの恵みの中で「目」としての賜物を磨き、それをもって神さまと人々のために生かしていくことです。
あなたが賜物を発見し、それを磨くならば、必ずそれが神さまと人のためになっていきます。何故でしょう?
それが神さまの御心だからです。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘