心の鍵を開ける

「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」
(ヨハネ黙示録3:20)

 以前、駐車場のところに「エルサレム館」という名の礼拝堂が立っていました。その隣りに「エマオ館」というプレハブの建物もありました。
 当時、私は、教会の全部の鍵を預かっていました。一つ一つの建物に鍵があり、一つ一つの鍵は全く違う形をしていますし、また同じ形をした鍵でも、正しい鍵ではないと戸は開きませんでした。
今でも覚えていますが、エルサレム館の鍵は、とても面白い形をしていて、ちょうど宝箱の鍵をもっと大きくしたような鍵でしたね。しんちゅうで出来ていて、磨くと金色になる鍵でした。

 さて、あなたは幾つ鍵をお持ちですか? 家の鍵、クルマの鍵、引き出しの鍵など。そんな中、人の心を開くことの出来る鍵があったら便利だと思ったことはありませんか?
 実は、イエスさまもそんなことを考えておられたことが分かります。イエスさまも、あなたの心を開く鍵を持っておられないのです。
ですから、「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている」と言われたのです。
 イエスさまも鍵を持っていませんから、出来ることは、外側から心の戸をたたき続けることなのです。

「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう」。

 あなたは、イエスさまに心の戸を開いて、心の中にお迎えしているでしょうか。
 今日、イエスさまはあなたの心の中に入りたいと願っておられます。でも、その戸を開く鍵を持っておられません。強引に、戸を破って入ることもなさいません。
ですから、あなたが内側から戸を開かなければ入れないのです。どうされますか?

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘

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