何をしてほしいのですか?

「イエスは、『何をしてほしいのか』と言われた。盲人は、『先生、目が見えるようになりたいのです』と言った。」(マルコ10:51)

 クリスチャンとは、神さまに頼まれて、神さまとの関係で、子育てをし、仕事をし、そして奉仕をするよう召されています。
全てを神さまとの関係で受けとめ直すので、喜びはもちろん、時には不満さえも依頼主である神さまにぶつけるのです。
このようにして、私たちは祈りを通し神さまに近づきます。神さまからの答えを知りたくて一生懸命聖書を読みます。その結果、神さまと親しくなるのです。

 時々「牧師から頼まれたからやっている」という人がいます。そうした人がちょっと躓くと「依頼主」である牧師を責めるのです。
責めてくださって一向に構いませんが、むしろ神さまを責めるべきです。祈りの中で神さまに訴えるべきです。必ず答えてくださることでしょう。
 私たちは自分の課題を自分の責任として受けとめず、環境を責め、両親を責め、相手を責め、子どもを責めても事柄は良い方向には動きません。
 「子どもが変わらなくて困る」と言う人の息子に話を聞いたら、「母親が頑固だから、僕も頑張っているんだ。」と答えるかもしれません。
 そうだとすれば、まず神さまによってあなた自身が取り扱われることを祈り求めるのです。
あなたの出方が変わることで、いつもの会話のパターンや喧嘩のパターンが崩れ、そこに必ず変化が起こるはずです。
 
 イエスさまがエリコの町を離れようとした時、道端で物乞いをしていたバルティマイが、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫びました。
イエスさまはバルティマイをご覧になり「何をしてほしいのか」と訊ねられました。あなたが真に求めるべきことって何でしょうか?

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘

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