5つのパンと2匹の魚

「パンの屑と魚の残りを集めると、十二の籠にいっぱいになった。」(マルコ6:43)

 バブルが弾けた頃、職を失った人がよく牧師館を訪ねてきました。
 「藤沢まで自転車でいく。途中でパンクするといけないからお金を貸して欲しい」と。断ると「前の牧師さんは優しかったな」と言うのです。
でも、頑として動かないでいると、今度は食べ物がないのでお金が欲しいと言うのです。
 その日、昼に食べたスパゲティーがあったのでお誘いすると、「ああそぅ」と言って上がり食べ始めました。
 一、二口、食べた後、「味が薄い。塩をくれ」と言うのです。〈ずーずしいな〉と思っても、「前の人は優しかったな」と言われるのも癪ですから、塩を渡しました。
おしゃべりし、お腹も満たされた後、食パンを手土産に帰っていきました。
 妻と私は「藤沢へ行くのはどうなったのだろう」と腑に落ちない思いだけが残りました。

 牧師館に居ると色々な人との出会いがあります。正直、負担に感じる時もあります。実は、今日の箇所を読むたびに牧師館での様々な方との出会いを思い出すのです。
 この時、弟子たちは素晴らしい働きをして帰ってきました。
成果を報告すると主は「人里離れた所へ行き、休みなさい。」と言われますが、行ってみると既に大勢の人が先回りし、休む暇などありません。
そして、主の気持ちが変わったのでしょうか、主は弟子たちに「彼らに食べ物を与えなさい」と指示をされたのです。
すでに「休日モード」に切り替わっていた弟子たちにはしんどい要求だったのではないかと思います。
 でも、気持ちを切り替え、給食を始めると、人々に感謝されました。彼らの笑顔に触れました。それだけではありません。
「パンの屑と魚の残りを集めると、十二の籠にいっぱいになった。」とあります。12とは弟子たちの数です。

 そうです。主はちゃんと、人々に仕えるあなたのことを心にとめておられるお方なのです。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA