神さまからコンパッション(思いやりの愛)が注がれているのだから
「主よ、わたしの心は驕っていません。わたしの目は高くを見ていません。大き過ぎることを、わたしの及ばぬ驚くべきことを、追い求めません。わたしは魂を沈黙させます。
わたしの魂を、幼子のように、母の胸にいる幼子のようにします。」
(詩編131:1−2)
カウンセラーのO先生からメールが届きました。
“先日、外国人講師が来日できなくなったためにオンラインでセミナーに参加しました。テーマはコンパッション。
人々の苦しみにかかわっていく思いやりと優しさ、勇気、力について学びました。少しシェアさせていただきます。
不安や焦燥感、イライラを感じるとき、それは「脅威」を感じているからであって、おかしいことではない。「脅威」への正しい反応である。
「脅威」に圧倒されないためには、自分を「なだめる」ことが必要。具体的には、呼吸に集中してリラックスする、そして他者に関心をもち、つながりを維持するのが大切とのことでした。
いま、コロナウイルスのために外出自粛が要請さえ、未知の病気に対する怖れ、思うように活動できない焦り、経済的な心配などがあるかもしれません。
そのような中で、脅威を感じるのは当たり前です。
神さまからのコンパッションが自分に注がれていることを思い、家族や友人たちと互いにコンパッションを送りあって、この時を過ごしたいと思いました。“
読みながら、心が穏やかになるのを感じました。
「主よ、わたしの心は驕っていません。わたしの目は高くを見ていません。大き過ぎることを、わたしの及ばぬ驚くべきことを、追い求めません。わたしは魂を沈黙させます。
わたしの魂を、幼子のように、母の胸にいる幼子のようにします。」
神さまからコンパッションが注がれていることを思うこと、互いにコンパッションを送りあうこと。何かできそうな感じがしませんか。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘