渇きを癒すお方

「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」
(ヨハネ4:13−14)

 イエスさまに出会うまえ、あなたの心は渇きを経験していませんでしたか?もちろん、イエスさまに出会った後でも、日々起こりくる様々な出来事のなかで、心に渇きを覚えることがあります。
それは、あなたが神のかたちに似せて造られていることの証拠なのではないでしょうか。私たちの心には、神であるイエスさましか癒すことのできない渇きがあるからです。
ですからイエスさまがくださる恵みの水を受ける前は、ありとあらゆる「モノ」で渇きを癒そうとするでしょう。
目に飛び込む広告は、その商品を手に入れさえすれば幸せになれるかのように訴えてきます。
モノで渇きを癒そうとする結果、いつの間にかそれ無しではやっていけない、ある種の「依存症」、聖書の言葉を使えば「偶像礼拝」に陥ります。
偶像礼拝の特徴は「もっと、もっと」とエスカレートしていくことにあります。
ある人はどれだけ稼ぐかによって自分の存在価値を見出そうとし、ある人はクルマや腕時計、洋服や装飾品など高価なモノを所有することで渇きを癒そうとします。
でもしばらくするともっと高価なモノが欲しくなります。
そうした「もっと、もっと」という生き方の先に何があるのでしょう? CSルイスは「そこに地獄がある」と言いました。
主イエスは、「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」と言われました。
主イエスが与えてくださる生ける水であなたの渇きを癒してください。聖書を通して語る主イエスの言葉と、それに応答する祈りの交わりを通し、あなたの渇きは癒されていきます。

いってらっしゃい。

牧師 松本雅弘

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