足止めされて

「さて、二年たって、・・・フェリクスは、ユダヤ人に気に入られようとして、パウロを監禁したままにしておいた。」(使徒24:27)

 ローマ総督フェリクスは、ユダヤ人のご機嫌取りのためにパウロをカイサリアで2年間も監禁していました。
 この時、パウロは一刻も早くローマに行って、思う存分伝道したかったと思います。
第3回伝道旅行の後、「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」(23:11)との明確な御言葉をいただいていたわけで、
「ローマに行き」は彼の興味、好き嫌いの問題ではなく、主の御心だったからです。ですから〈何故、2年間も待たされなければならないのか〉と焦燥感を抱いたのではないかと思います。
しかし静まって祈る時、彼の心に平安が与えられていきました。彼には妻も家族もいません。ですから比較的自由に伝道旅行をし、超ハードなスケジュールをこなすことができました。
神はその彼のために、カイサリアの牢屋において静かに流れる時間や神の家族としての交わりを楽しむときを与えたのではないかと思うのです。そのようにして、このカイサリアでの「2年間」は、都ローマにおける宣教の下準備となっていったのです。
今年の主題は「神の愛を実感する交わりづくり」です。ところが年度初めからコロナ禍に見舞われ、交わりはおろか、「ソーシャルディスタンス」を求められました。まさに足止めを食わされる経験です。
でも御言葉を思い巡らし、愛なる神さまの視点に立って、私たちの置かれている状況を見ていくとき、神さまのなさることに何一つ無駄はない。
神さまの御業がなかなか起こらないと見える時、神さまが祈りに答えてくださらないように感じる時、実は、神さまご自身がゆっくりとこの私をケアし、次のステージに向けて整えておられる時ではないかと思わされるのです。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘

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