主イエスの優しさに触れたパウロ

「だから、主に結ばれている者として大いに歓迎してください。そして、彼のような人々を敬いなさい」(フィリピ2:29)

 パウロは、大失敗をしたエパフロディトを優しい心をもって受け入れています。
ではどうしたら、私たちもパウロのように、失敗し多くの人に迷惑をかけたエパフロディトに対して寛容に、そして優しい心で接することができるのでしょうか。
実はそのように接したパウロ自身が、エパフロディト同様、見事に失敗し、見事に的をはずした経験の持ち主だったからです。
パウロはキリストを迫害しました。とことんやりました。しかしそのようなパウロを神さまは一方的に憐れんでくださり?愛してくださったのです。パウロはそのお方に心をとらえられたのです。
〈このようながむしゃらで的外れの私自身が、キリストを十字架につけたのだ〉ということを心の深いところで理解することができたのです。
そして、〈このような者にもかかわらず、御子の命と引き換えにしても惜しくないと神はお考えになり、熱烈な愛をもって愛してくださっている〉という事実を知ったからなのです。
このようにパウロはキリストご自身に感動していました。〈私が立ち直るためにと、キリストが全部の泥をかぶってくださった。それによって私は生かされた〉と実感したからです。
主イエスは言われました。「私はあなたを友と呼ぶ」、「あなたは高価で?尊い。私はあなたを愛している」と。
聖書を読む時、どの聖句もみな、もったいないほどです。その極みがクリスマスであり、十字架です。
そこに現された眼差しをもってあなたを見続け、接し続けておられる主の優しい眼差しの中にとどまり続けることを通して、敗者復活が現実に起こり、エパフロディト同様?あなたも変えられていくのです。
今日の主の眼差しを背中に感じ、信仰の道を健やかに歩んでいきましょう。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘

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