神の冒険としてのアドベント
「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」(2コリント8:9)
昨日の日曜日からアドベントが始まりました。クリスマス前の4週間を「アドベント」と呼びます。これは「到来」とか「到着」を意味するラテン語から来ています。
以前、伝道集会に来られた東京神学大学の近藤勝彦先生が「神の冒険としてのアドベント」という言葉を使っておられました。
「危険を冒して何かをすること」を「冒険」と言いますが、英語では「アドベンチャー」と言います。実は、この「アドベンチャー」という英語は「アドベント」から来ているそうです。
「飼い葉桶と十字架ははじめから一つである」とある人が言いました。この冒険の結果が「飼い葉桶」であり、また「十字架」だったのです。
つまり、イエスさまはクリスマスにおいて、十字架に向かう冒険の道を歩み始められたのです。そしてその冒険は、私たちを罪の縄目から救いだし、神の子とするためでした。
そのために、イエスさまは御自分のすべてを私たちにお与えになり貧しくなられたのです。その主の貧しさによって、私たちは新しい命に豊かにあずかる者とされたのです。
「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」
主イエスは、ご自分のすべてを私たちにお与えになるために来てくださいました。あなたを救い、あなたと共に生きるために来てくださいました。これが「アドベント」の意味です。そして、そこにこそ、私たちの希望と喜びがあります。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘