キリストの豊かさにあずかる
「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」(2コリント8:9)
東日本大震災後、被災地にボランティア活動に行かれた方たちが、口々に言っておられることの中に「高座教会とのちがい」ということがありました。
世界には様々な背景を持った教会があります。そうした教派の多様性は、様々な分裂の結果という側面もありますが、他方において、多様な教派が存在することが、実はキリスト教信仰の豊かさを表しているかもしれません。
何かの働きをしていく時に、その働きが豊かなものであるならば、どうしても多くの人々の協力や助けが必要です。そうした時、他教派の方々とどのように協力していくかが、とても大切なこととなります。
「超教派」は「無教派」ではありません。それぞれの伝統を尊重しつつ、1つの目的に向かって協力する。高座教会は長老派教会で超教派の教会ではありません。
いや「超教派の教会」というものは本来ありえないことで、どの教会も必ずその教会独自の信仰的背景や歴史があるのです。
ところで「豊かさ」ということで言えば、聖書が説く「神さまの救い」も本当に豊かなものですね。
例えば、ローマの信徒への手紙では「律法違反としての罪」という視点からパウロは救いの教理を展開します。たぶん手紙の読者がローマ法に精通していた人々だったからだと思います。
一方、ルカ福音書では有名な「放蕩息子の譬え」に表されるように、罪を関係のズレ、救いを関係の回復として捉えています。
私たちが分かっていると思うことよりも、実は、分かっていないことのほうがはるかにたくさんあることを知らされます。
神さまの恵みって本当に豊かなものですから!
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘