ぶどうの木であるキリストにつながる
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」(ヨハネ15:5)
2020年も終わろうとしています。主に守られて、今年も大みそかを迎えることができました。
今年、コロナ感染症が拡がり始め、あっという間に全世界を巻き込むパンデミックとなりました。日本に住む私たちをはじめ全世界の人々は、本当に様々な経験をさせられた一年でした。
そして今もなお、コロナ禍によって命を失った方たちのご家族や、入院中の方々、医療関係者の方たち、またコロナ禍のために職を失ったり、収入が激減してしまった方たち、そうした癒されない爪痕が今でもはっきりと残っている厳しい現実があります。
ある日、主イエスはベタニヤにマルタとマリアを訪問した際、主イエスをもてなすことで頭がいっぱいになってしまった姉のマルタ対し、「あなたは多くのことで思い煩っている。しかし、必要なことはそう多くはない。いや一つだけだ。
マリアはそのよい方を選んだのだ」と言われたのです。口語訳聖書では、「無くてならぬものは一つだけ」と訳されていましたが、妹のマリアが選んだ「無くてならぬもの」とは、主の御心に生きるということでした。
小春日和の柔らかい日差しもレンズによって焦点が絞られると、物を燃え上がらせるエネルギーとなります。同様に御言葉と祈りによって主の御心に焦点が搾られていくときに、私たちの心は、主の恵みと平安で心が満たされていくのです。
今朝、もう一度、信仰の基本を説く御言葉に傾聴しましょう。
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」
2021年に向けて、いってらっしゃい!
牧師 松本雅弘