主にあっての七転び八起き

「正しき者は七度倒れても起き上がる。」(箴言24:16)
 ダビデの生涯を振り返れば、傲慢になって人口調査の罪を犯し、多くの国民を犠牲にしたことがありました。バト・シェバとの姦淫の罪を犯し、霊的に堕落した経験もしました。たくさんの失敗、たくさんの恥ずかしいことがありました。そうしたダビデも、妻にとっては夫であり、子どもたちにとっては親であり、イスラエルの民からすれば、国のリーダーでしたから、当然、そうした罪のとばっちりを家族も国民も経験したことです。 こうしたダビデの生涯を、聖書から読む時に、程度の差はあったにしても、一つ一つのことは、私たちが日常経験する現実でもあるのではないかと思いました。 さて、そのような中で、ダビデの生涯には、私たちの模範とすべき良い点もあります。それは、何かあるごとに主の御前に戻り、主の取り扱いを受けつつ生涯を全うしたということです。 聖書は、最後の最後に人は皆、主の御前に立たされることを教えています。ダビデは、主なる神さまと気まずい関係で天国の門口に立つのではなく、最後には、そのお方と顔を合わせるわけですから、そのお方とのわだかまりのない関係の中に、日々歩むことを努めていました。 ダビデは、人生の締めくくりに際して、息子のソロモンに対し「あなたの子孫が自分の歩む道に留意し、まことをもって、心を尽くし、魂を尽くしてわたしの道を歩むなら、イスラエルの王座につく者が絶たれることはない」と語り「主の御前に立つ私」という信仰の姿勢を受け継がせようとしているのです。 私たちの人生の締めくくりに際し、このダビデのように、自らの最後に全てを総決算できる言葉を持つ人は何と幸いかと思います。この後、ソロモンは、箴言を記します。その一節が今日の聖句です。これは父の信仰をまさに継承したソロモンの証しのように聞こえてきます。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘
発行者名:高座教会 連絡先:info@koza-church.jp 住所:大和市南林間2−14−1

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